平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


「君の名はとたづねし人あり世の中は……」
名調子「君の名は」。NHKラジオの連続ドラマだ。放送時間になると女湯がいつも空ッポになった。東京の街が空襲のさなか、数寄屋橋で出会った若い男女が、またの再会を約しキス一つせず別れていく……。女の姿は「マチコ巻き」のバックシャン、猫もシャクシも真似してた。

岸恵子と今は亡き佐田啓二のドラマは銭湯の天敵だった。1時間に50~60人は入ってたころだ。そのころ有線放送があったら、流し場にでも流せたのに……。しかし銭湯の奉公人たちに、そんなドラマを聞く暇はない。

そう、そのころの働き手は「奉公人」で、「勤める」なんて言わずに「修行に入る」と言ってた。でも私らより上の世代はもっとすごい。「わらじを脱ぐ」なんて言ってたから、渡世人みたいなもんだ。そんな名残から、この業界では今でも「親分、子分、兄弟分」がまかり通っている。情の世界であり、熱いきずなで結ばれていた。

昭和30年代前半は、自家風呂保有率は30%くらいで、街の人たちにとって銭湯通いは娯楽であり、一日の終わりを告げるケジメだった。入浴料金12円(昭和26~28年)は洗髪料金10円(昭和23~40年)と合わせると安くはないが、他人との裸の触れ合いは街の情報源、元は取れていただろう。

ところで、入浴料金は一体だれが決めていたのかご存じだろうか? 東京の銭湯の行政管理者は、現在は都と保健所だが、その昔は都と警察署だった。すると銭湯は風俗業だったのかな?

入浴料金(大人12円)、洗髪料(10円)、流し(20円)。入浴料金にはさらに、大人(12歳以上)、中人(6歳以上12歳未満)、小人(6歳未満)の区分がある。

少々面倒な料金分けと思わないかな? 何歳じゃなく、大人は中学生以上、中人は小学生、小人は未就学児とすればわかりやすいと思うのだが……。

疑問ついでに「大人・中人・小人」、どう読むのか戸惑ってしまう。「ダイニン・チュウニン・ショウニン」? なんだか英語みたい。ダイニング、チューニングって感じだ。「オオビト・チュウビト・コビト」? それとも「オトナ・コドモ」? うーん、「中人」はどう読むのかな。「チュウトナ」「チュウドモ」いや、意外に「ナコウド」だったりして。そんなことないよね。


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は1999年2月発行/36号に掲載


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「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)