平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
今お湯を沸かしてますョ。開店しましたョ。
煙突は煙の出る銭湯の広告塔。都心では高層ビルの林立で、最近では探すのに苦労するようになった。しかも私の銭湯(松の湯)には今は煙突がない。蒸気で湯をつくるマイコンのボイラーに替えたから、明日の点火だって予約できる。昔なら予想もつかない省力化銭湯なのである。
ひと昔前、燃料不足の折に生ごみや硫酸ピッチ、コールタールなど、釜や煙突にとって天敵とも言える燃料の煙を通されて、すっかりのど元をやられ、肉がとれて骨がむき出してきた煙突。仕方なくバンドを巻かれ、窮屈この上ない格好をして煙を吸い込み吐き出している。
釜と煙突の中間にある煙道の管理には泣かされたものだ。ススがたまって元釜の湯が漏れ、煙の吸い込み口を防ぐ。寒い時節の休業日には、冷えて煙が吸いにくくなる。しかし営業中の補修は難しいので、数少ない休みの日を利用して作業しなければならない。釜が入っている箱は鉄製だが、昔は分厚い木製でシュロの皮でできた「ハダ縄」を継ぎ目、合わせ目に打ち込み、水漏れを防いでいた。
でも、湯を沸かし過ぎると釜自体が振動してハダ縄が外れ、湯が漏れだす。上部の蓋からは蒸気が噴き出す。早く直さないと煙道口が塞がれ、燃料が燃えずに温度が下がって「お湯が出ない」とお客さんに怒鳴られる。おやじさんにも叱られてパニック状態に。
経験不足の者には、いつも祭りは付きものだ。「苦あらば楽あり」「楽あらば苦あり」の連続だった。今もときどき、泣き笑いの出来事やオーバーワークも苦にしなかったころの夢を見る。
先日、3歳の孫を連れて久しぶりに夫婦で箱根に一泊の宿をとった。谷川のせせらぎを聞き、孫と戯れながら眠ってしまった。すると突然、「タンクがどうしたの?」と大きな声で起こされた。
「何かあった?」
「寝ぼけないでよ」
「ああ夢でよかった」
水タンクの溢れるあの一件がまた夢に出てきた。孫を連れた旅先だというのに……。外は何もなかったように谷川の流れる音だけが部屋の中へおじゃま虫。私にはどうしても商売の音に聞こえてくる。いやな性分だ。せっかくもらった一泊の旅も、孫や女房の中に気が入ってない減点オヤジだ。ああ夢であってほしい。
【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。
【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は1998年12月発行/35号に掲載
■銭湯経営者の著作はこちら
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)