平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


昭和20年代後半。銭湯の1日は午前9時起床、「穴のあいた」作業着に着替え、顔も洗わず寝ぼけ眼(まなこ)での釜掃除から始まる。午後2時の開店までに、1日分の燃料を火袋(ひぶくろ=ボイラー室)に運び入れなければならない。燃料といっても、おのおのの銭湯によって異なる。燃料選びは、それで将来成功するか否かが決まるほど、重要なことである。

お客さんは、お湯を文字通り湯水のごとく使って満足顔、しかし番台は嫌な顔一つせず「ありがとうございました」。商売という意味では矛盾している。じゃあ、どこで儲けるのか? 親方がよく言っていた。

「店じゃ儲からん、裏で儲けろ!」

何度言われても理解できなかったが、経営者になってやっとわかった。「裏で儲けるとは、燃料で儲けるという意味だったのだ。儲かる燃料とは何か。高価な順に並べると、電気棒、石炭、コールタール、硫酸ピッチ、ガラコークス、オガクズ、カンナクズ、ミジンコ(木材の砕片)、ゴミ(廃材)など。いかにして、安価な燃料を収集し、燃やせる若衆を仕込むか。そこに親方の苦心がある。

先に述べた穴のあいた作業着は、「燃(も)し物(燃料)」を収集、加工する際の激しい労働を物語っている。オガクズを詰め込んだ重いパイスケ(背負いカゴ)が肩に食い込み、撫り切れる。硫酸ピッチの加工の際に、飛び散ったピッチで衣類に瞬時に穴があいたり、せき込んだりする。今では到底世に出ない燃料もあった。しかし職人への修行の身である以上、耐えることが仕事と割り切って、ひたすら安価な燃し物を探す以外、よそ見してはならない。

「新聞読んでる暇があったら燃し物探して来い!」
「ケツ温めてる暇に、流し場に金(かね)が落ちてるから拾って来い!」

銭湯の表には下風呂(元釜)があり、その上に敷いてある板に座ると、温突(オンドル=床暖房)のように温かい。ここは番頭、若衆の聖域で、お互い競うように糠袋(ぬかぶくろ)でピカピカに磨き上げ、その上にあぐらをかいてお客のお呼びを待ったり、釜へ張りに(燃やしに)行ったり、居眠りしたり……。いわば裏方の中心的な場所なのだ。昼間の疲れで、ここに座るとついまぶたの上下がくっつく。すると、「ケツ温めてないで――」と怒鳴られるのだ。

ところで、流し場に金が落ちているとは? 

これについては、次号詳しく述べよう。


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
銭湯マップはこちら

今回の記事は1998年8月発行/33号に掲載


■銭湯経営者の著作はこちら

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)