平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


お隣の中村ご夫婦のおかげで、わが大黒湯の売却と、新宿・松の湯購入の決心がついたが、買い手の中に創業者タイプが1人もいなかったことに寂しさを覚えた。“企業は人なり”というように、人材の育たぬ企業に繁栄はない。昭和40年を境として銭湯の第2期黄金時代は去った。

そんな中、私の背を押したのは大田区蒲田の「隆の湯」オーナー、松本さんからの電話だった。
「あなたの育てた湯屋をぜひ、私の弟に譲ってほしい。家族みんなで3000万円集めました。安いか高いかはあなたが決めてください」
誠意ある言葉と、家族みんなで仲良く営業ができると確信したので、買っていただく決心をした。

しかし、肝心の、新宿の店の値段をまだ聞いていない。松本さんと約束を交わした翌日、代理人から連絡がきた。
「新宿の店は、今までの借金とはひとケタ違う。よほど覚悟がないとやっていけないよ。中はボロだから、それなりの売り上げだろうし」と代理人。
「売り上げに見合った値段なら乗るしかないです。私の店は買い手がついた。今度はあなたの番だ」
「私も努力するが、早く信用組合に行ったほうがいい。怖い人がいるから気を付けな」

“怖い人”とはだれのことか。
気になって、その日は早めに起きて神田の本部へ向かう。本部1階の玄関を仰ぐと足が止まった。相模原から乗り継いできた電車の中で、ずっと悩んできたからだ。大金の借り入れマニュアルのようなものがあるのか、1人で動いたところで信用や保証の問題はどうなるのか・・・・・・。

玄関前で深呼吸し、受付カウンターで専務さんを呼び出してもらうと、
「お、珍しい人が来たもんだ。何か用かい。どうだい、田舎もいいもんだろう」
「お久しぶりです。ちょっとご相談があって参りました」
「そんなら上がれや。聞こうじゃないか」

そこで、今までの経過の一部始終をお話しした。テーブルの周囲には専務のほかに理事長をはじめ常務など、お歴々がずらり並んで、眼光が鋭い。びくびくしながら汗びっしょりでお返事を待つ。
「お前さんね、売値はわかった。買値はいくらだ」
と、専務の低い声が響く。
「まだ内容は聞いておりません。代理の人が今、折衝中のはずです」
「借入額が不明では話しようがないよ。出直してこい・・・・・・。待てよ、お相手は蒲田の松本さんと、日暮里の中島さんだな? 今、確かめるから聞いてな」
とその場で、買い手と売り手双方へ電話していただいた。買い手の松本さんは間違いなしということだったが、一方の売り手の中島さんへ確認を取ってもらったところ、短時間でガッチャン。不穏な空気が漂った。


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は2001年8月発行/51号に掲載


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「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)