平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


相模原へ来て5年、店舗の拡張、設備投資などを終え、これからその回収に入ろうという矢先に東京の中島さんから「新宿の松の湯を譲るからすぐ上京せよ」との連絡が入った。今回の営業者との契約切れを最後に、私に譲るという。

東京の動きは素早いが、こちらはまだ家族へも、親しくしていただいている方々にもこの件について話しておらず、尻に火が付いた。

お隣の中村さんご一家へも事情をなかなか説明できないでいたところ、ある日中村のジッちゃんが
「最近、お風呂屋さんの周りを眺めたり、夜遅くまで玄関口を見ている人たちがいるけど、何やってんだベエー」
と言う。続いて奥さんが
「この間、おそば屋さんにいたら、見知らぬ男連れが、アノ風呂、本当に売れるんだろうか、あっせん屋のガセネタじゃないの、とか話していたけど、この町にはオジちゃんのところしかお風呂屋さんはないしね?」
と聞いてくる。

一番気にかけていたことを先に切り出されてしまった。
「実はその話で一人悩んでいたんです。女房にも相談できなくて」
「オジちゃん、水臭いベエー。話せばいいジャン」
ということで、今までの経緯を話したらノドのつかえが一気に取れた。
「別れるのはお互いつらいけど、伸びていくんだからうれしいよ。天下の新宿だベエー、相手に不足はない。今以上に暴れてくんナ」
親兄弟以上に入れ込んでいたご一家に励まされ、涙が出る。
「それにしてもオジちゃん思い切ったことをやるんだなー。こんな田舎ではたかが知れてるべエー、ガンバンな!!」
肩の荷が下り、勇気百倍で進路が決まった。

あっせん屋からこちらの買い手の推薦が相次いだ。まだまだ東京の銭湯も元気があったが、若衆上がりでこれから独立しようという買い手よりも、オーナーが自分の子息に買い与える件が多かった。嫌な予感が頭をよぎった。財産分与ということか。創業者型人材がもう東京にはいないか、育たないのかもしれぬ。そうだとしたら困ったものだ。風呂屋も先が見えてきた。そんな真っただ中に突っ込んでいくのかと思うと寒くなってきたが、ついに値が付いた。“3千万円!! 土地180坪、浴場に店舗2つに、燃料付き”。この「燃料付き」が財産になる。数ヵ月後にオイルショックが始まるからだ。

この値が付くまでにはいろんな買い方があって面白かった。自分の子息の財産になろうとする物件に、なんだかんだと難癖を付ける。まだこちらから「あなたに売ります」と言う前だというのに、だ。

また、ほめちぎって高値を付けて連絡なしで売買を遅らせるなど、結構お暇な人たちもいたものだ。そんな中、東京都大田区蒲田の隆の湯の松本さんから「ぜひ話を聞いてほしい」とご一報がきた。


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は2001年6月発行/50号に掲載


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「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)