平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


新宿大久保通りの結婚式場“三福会館”のオーナーご夫妻に仲人役を買って出ていただいて、4人だけの結びの杯を交わし、その上「男なら恩義を受けたら体で返せ」なるご高説も拝聴し、身に余る財産となった。

店のほうは“流し”をやったかいもあり、予想以上に売り上げが伸びて女中さんを使えるようになった。今で言うパートのおばちゃんで、子供を連れて来て、夕方まで働いてくださった。特に連れのお子さんには助けられた。長女を世話してくれたおかげで、どんなに仕事に打ち込むことができたか、計り知れない。

月末には家賃を納めることになっている。家賃は売り上げの10日分と決まっていた。オーナーの中島様のご自宅まで伺ってお支払いしていたが、後日他の家賃は15日分と聞き、私が優遇されていることに驚いた。中島様ご一家には温かく迎えていただき、感謝してやまない。

特に亡くなられたおばあちゃんには、いろんなことを教えていただいた。家賃を納めに伺うと必ず待っていてくださって、そこで経験談を聞かせていただくのが楽しみの一つになった。
「他人様に何かをして差し上げることは難しい。何かをやってあげることを『骨を折る』と言うが、結果は『骨を折ったかいがあった』『骨の折れるやつだった』となり、あるときは『骨折り損のくたびれもうけ』になるかもしれない。
人間、頭と体を酷使すると骨に異常を来す。それが老化を早める元になる。だから時々ゴロ寝をして体を伸ばし、骨を活性化させなければいけない。そのことを『骨休め』と昔の人は言っている。それができない人は早死にする。風呂屋の男にはそんな人が多過ぎるから、あんたも気をつけな」

親だってこんなことを教えてはくれなかった。「一生懸命働いて、早く独立しろよ。酒は飲むな、健康には気をつけナ」くらいだ。「健康には気をつけナ」と親なりに気遣ってくれてはいるのだが。

さてそのころ、中野浴場組合員として末席を汚しながらお茶くみの手伝いをしていた私に、人付き合いのノウハウをたたき込んでくださった方がいた。同じく組合員で公認会計士でもある、佐藤次男さんである。現在は東浴信用組合の監事として、重責を担っておられる。

「お前さんは今、お客さんのこと、売り上げを増進することだけに専念しなさい。結果は他人が出してくれる。及ばずながら私も手伝う。毎月の出納帳、支払い伝票を持って来なさい。費用は一人前になってからでいいから……」

後年私の息子が小さな会社を興し、親子二代にわたるお付き合いを願うことになる。独立を果たし無我夢中で働く私にとって、中島様や佐藤様が仏様に思えたことだった。


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は1999年12月発行/41号に掲載


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「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)