SLは丈夫だ。

リニアモーターカーが世に出るか否かという時代に、観光用とはいえ、未だに石炭を燃料に湯を沸かし、蒸気を動力としてレールを走って行く。そして懐かしい人に会いに行くような気持ちで、そこに人が集う。バージョンアップしながら活躍し、役目を終えて行った車輌は数知れず。だが、それらのほとんどはもうレールで躍動する姿を見ることはできない。

SLは丈夫だ。


風格ある宮造りの佇まい


ペンキ絵は故・早川利光絵師によるもの


3つの浴槽が並ぶ。一番奥は薬湯。中央は浅め、右端は深めの浴槽(男湯)

帝国湯は荒川区三河島の住宅街にひっそりと佇む、100年を超える歴史を持つ老舗銭湯。
なのに表から見る限り、「うちは老舗でございますのよ」というような料亭っぽい、あざとさがない。まぁ謙虚!

お話をうかがったのは番頭の石田綾子さん。肩書が「番頭」。良い響きだ。「総務係」よりずっと良い。何しろ親子二代に渡って住み込みで働いているという筋金入りの番頭さんなのだ。

2022年春、先代の女将さんが亡くなった時に帝国湯は廃業の危機を迎えた。先の見えないまま続く休業の間も、他の仕事をしながら住み込みを続け、番頭のお父さんと綾子さんは再開の期待を持って浴槽と釜のメンテナンスを続けた。そんな不安の中、閉まった玄関に貼られた帝国湯を愛する近隣のファンの手紙が、帝国湯を再起動へと突き動かす。『プロジェクトX』なら、ここで中島みゆきが歌い出すシーン。

やがて女将さんの甥が帝国湯を継ぐこととなり、「営業再開」の投稿をSNSに出したとたん、半日でフォロワーが500人増えたという。みな帝国湯が戻ってくるのを心待ちにしていたのだ。全三河島が、泣いた。


壁には休業中に寄せられた再開を望むメッセージが多数

帝国湯はアナログだ。アナログは手間が掛かる。井戸水を汲み上げ、薪で湯を沸かしているが、一時薪をやめてガスを使った時があった。温度管理が楽なのだが、ある常連さんに言われた。「なんだかお湯がいつもと違うわね、ピリつく感じがして」と。

アナログのお湯には、アナログの常連。恐るべし。後日そーっと元の薪に戻したという。

「今日はピリつかなかったわ。こないだの、気のせいかしら?」
それ気のせいじゃないですよ、奥さん。

井戸水で思い出したが、帝国湯の井戸水は保健所の検査で飲料水としても認められている。ただしカランの水は飲めないからご注意を。男湯・女湯に各一ヵ所、飲料水用の蛇口があります。帝国湯さん、オリジナルのペットボトル、またはプラマグカップ作りましょう! グッズ収入は維持費の足しになります。ぜひ作りましょう!!


男女の浴室をまたぐ富士山のペンキ絵


男湯の庭から眺めた富士山


女湯の飲料水の蛇口


男湯の飲料水の蛇口

昔のテレビはたたけば直った。アナログは強い。長い歴史で設備のいたるところが傷んでいるが、そこはアナログの強み。長年、帝国湯を見てきた職人さんが、大改修せずともうまく補修してくれる。面白いのは一部を徹底的に直すと、他の部分にしわ寄せが行って調子が悪くなる。総合的なバランスを見て、ほどよい加減で直す。隅々まで徹底的に調べる総合病院よりも、患者を総体的に見て体調を維持させる、かかりつけの医者のような、いい意味での曖昧さを持つのが職人さんの技なのだ。まあまあ調子は悪いが、でもうまくいっている、それが帝国湯。

訪れたことがある人なら分かると思うが、例えるなら「博物館の銭湯に実際に入れる」のが帝国湯なのだ。全てがレトロ。全てが現役。

歴史の積み重ねを感じる柱の色も、そこに貼られた火除けのお札も、浴室の背景画はもとよりタイル絵も庭の風情も、抱き締めて頬ずりしたくなるような愛おしさを感じるほどのノスタルジーが心をくすぐる。なのに目の前の浴槽には当たり前だが熱いお湯が沸き、湯気が立ち上がり、お客さん同士の弾んだ会話も生き生きと聞こえ、タイルの床に響く桶の音も心地よい。それらの人々の営みは、内側から帝国湯に生命力を与えているようにも思える。


もちろん番台スタイル


屋号入りの柱時計の下には、火事除けや盗賊除けの御札


脱衣籠も現役


昭和27年の入浴者心得!

最近は遠方どころか海外からも観光客が訪れ、ジャパニーズカルチャー「Teikokuyu」を楽しんでいるという。感心なのは事前学習をしてくるのか、これといったトラブルもなく仲良く銭湯文化を楽しんで帰るとか。せっかく日本に来たのだから郷に入れば郷に従えで、リアルな日本文化を楽しんだほうが絶対良いよ。蕎麦をすする音が下品だから止めさせろとか、蕎麦屋で言ってたフランス人(ネット情報)、そういうことだぞ。ズルズル。

SLは丈夫だ。

メンテナンスを繰り返しながら今日もどこかで汽笛を鳴らしている。帝国湯も毎日コンディションを確かめながら熱い湯を沸かしてお客さんを待っている。だが、これは当たり前のようでいて奇跡の日々なのだ。日本からSLが消えても次の世代に「乗ったことがあるんだよ」と語れるように、帝国湯の熱い湯で汗を流したことが必ず自慢になる日がいつか来る。今そこにあるのは当たり前のような日常。

「思い出の一つとして心の片隅にある銭湯。だけど寄り道の場所、帰れる場所のような銭湯でありたいと、優しめのお湯になるように気持ちを込めて沸かしています」と、石田さんは煤にまみれて釜に薪をくべる。

僕らはこの奇跡が続く限り帝国湯を目指すべきなのだ。

結びに、仲の良い古今亭駒治師匠が、帝国湯で撮った写真で落語会のチラシを作りました。帝国湯の居心地の良い雰囲気が出てます。傑作。


デザイン・若井夏澄さん 撮影・武藤奈緒美さん

(写真・文: 三遊亭ときん


【DATA】
帝国湯(荒川区|三河島駅)
●銭湯お遍路番号:荒川区28番
●住所:荒川区東日暮里3-22-3(銭湯マップはこちら
●TEL:03-3891-4637
●営業時間:15~22時
●定休日:月曜
●交通:常磐線「三河島」駅下車、徒歩7分
●ホームページ:http://arakawa-sento.jp/帝国湯
●X(旧Twitter):@TeikokuY1916

※記事の内容は掲載時の情報です。最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。


薬湯の効能書き


縁側で池の鯉を眺めながら涼むことができる


町田忍さんのイラストの隣には、「奈架志」と書かれた「流し」の札が飾られている