「ママ、また、ここに来たいよ~」
道の真ん中で、かわいい小さな女の子がお母さんにおねだりをしていた。
彼女が指をさしているのは銭湯「みどり湯」。
きっと常連さんの親子なのだろう。

東急東横線の自由が丘駅から歩いて約5分。昭和32(1957)年の開業以来、平成を経て令和の今も長らく地元で愛され続けているみどり湯は、商店街から少し離れた静かな住宅地の中にある。
オーナーの清水智子さんにお話をうかがった。まずはお店の前で見たほほ笑ましい光景を伝えると
「ありがたいですね。親子連れの方は特に土日に多いでしょうか。あまり自分の銭湯のお客さまを他の銭湯と比べたことがないのですが、周りから“若い人が多いね”とはいわれます」

やはりアットホームな銭湯の雰囲気は、今のコロナ禍において大切なものなのだろう。
「感染対策でいろいろと大変なことがありましたけれど、いらっしゃる人の数はあまり変わっていないですね。最初の報道でコロナが衝撃的に大きく伝えられたときは、お年寄りの方で、“毎日来たいけど、家族に止められて”というのもありましたけれど。今は前と同じようにお年寄りもいらっしゃっています。サウナ室がまだ人数制限で5人までなんですが、みなさんきちんとルールを守ってくれています。不便かな、とも思うんですけれど逆に“広く使えていいですね”なんて感想も聞きますよ」

さわやかな雰囲気の富士山(男湯)

荘厳に輝く黄金色の富士山(女湯)

苦しい時にこそ、お客さんが声をかけて協力しあう。これぞ街の銭湯の魅力だ。朗らかな雰囲気の浴室は、男湯も女湯も銭湯ペンキ絵師・田中みずきさんの描かれた富士山が見守っている。
「あるお年寄りが 『カギ、どこに置いたんだっけ? 忘れちゃった!』というと、別の方が『ここにあるわよ』と見つけてきてくれたり。本当にお客さん同士も助け合ってくれていますよね。店側としても“高齢の方に気を付けよう”と特別に意識するのではなく、銭湯全体として自然とお年寄りに優しい雰囲気になっていると思います」

お年寄りが座りやすいように座面の高い椅子を用意している

みどり湯の近くには駒沢公園や緑道などランニングスポットが多い。ここ数年のブームとして、銭湯ランナーも多く受け入れている。
「荷物を預かるサービスを行っていますが、週末はランナーの方が多いですね。最近いわれたのが“立って浴びるボディーシャワーがいいですね”と。確かにボディーシャワーのある銭湯って、あまりないと思います」
緑の中をランニングのあと、みどり湯で全身で浴びるボディーシャワー。これは気持ちよさそうだ。さらには広い湯船で足を伸ばし、背中に受けるジェットバスもいい。

全身への水圧が気持ちいいボディーシャワー

お湯の温度は42度で調整されている

子どものころ遊んだおもちゃのシルバニアファミリーが発想の原点

みどり湯は、銭湯の隣でアートギャラリー「gallery yururi」を経営している。これまでに銭湯に関係する写真展やトークショーを数多く開催してきたが、この日の取材のときは泉州タオルの展示・販売を行っていた。
「大阪から来ましたが、今回で4回目の展示になります」と説明する北庄司英雄さんの目の前で、さっそくタオルが1枚売れていく。なかなかの人気である。
「薄いのにしっかり水を吸収する泉州タオルは、銭湯にとても合うと思うんですよ」と清水さんも太鼓判を押す。
実用的でおしゃれなタオルは、みどり湯から自由が丘の街へとさらに広まっていくことだろう。

多彩なイベントが開催される「gallery yururi」

銭湯との相性抜群の泉州タオル

「gallery yururiでは“生活に根差したアート”を目指したい」という清水さん。豊富な発想の原点はいったいどこにあるのだろうか。
「“空間をどう使うか”ということには子供のころから関心がありました。小学校のころ、シルバニアファミリーが好きだったんです。おもちゃの家があってウサギが住んでいて、家具や人形とか並べて遊ぶんです。空間をどう使うか、何を配置するかみたいなことには徹底的にこだわっていましたね(笑)。キッチンやバスタブとか、置く場所によって全然雰囲気が変わってくるんですよ。子どものおもちゃとは思えないくらい手が込んでいるんです。しかもかわいいし。そういう感覚は、大人になって仕事をしていく上でシルバニアの規模が大きくなったような感じですかね」
家族的な温かさのある銭湯とシルバニアファミリーの世界は、確かに似ているといえるだろう。

「gallery yururi」の二階には茶室「yururi」がある。銭湯とはひと味違う精神集中の場を作った意味を聞いた。
「二十代のころ茶道を始めてから、茶室という空間がとても気になるようになったんです。今は自分ではそれほどやっていないんですが、茶道に関われるのはうれしいですね。お茶のよさは、やっぱり茶室という空間に身を置くということ。銭湯の湯船と茶道の茶室はどちらも“儀式”みたいなところがありますよね。銭湯に来る人にもそれぞれこだわりがあると思うんですよ。先にシャワーを浴びるとか。疲れた体をいやしてくれるのは銭湯も茶室も同じだと思います。湯船だけではなく、サウナ室もきっとそうでしょうね」
最近は「ととのう」ブームでサウナが若い人を中心に人気だが、もしかすると心まで清めに来ているのかもしれない。

落ち着いた雰囲気の茶室「yururi」

2段式で定員5名のサウナ室

リニューアルのコンセプトは“新しい寄合所”

2022年、みどり湯は大きなリニューアルを行う予定だ。
「これまでにもサウナを作ったり受付をフロント式にするなど何度もリニューアルをしてきましたが、今回はより大きく変えようと思っています。大手の業者さんにまかせて一気に工事するやり方もありますが、気の合う業者さんと5段階くらいに分けてゆっくりと変えていきたいと思います。パズル方式ですね(笑)。今回はお風呂には手をつけず、フロントロビー部分を大幅に変えます。お風呂には最後に手を付ける感じです。工事の時期にはけっこう休まないといけないかもしれませんね。規模とかはこれから業者さんに相談するつもりですが、早ければ22年の秋には工事をスタートしたいです」

新しくなるみどり湯のコンセプトは、すでにしっかりと清水さんの頭の中にあるという。
「銭湯という枠を超えたいんです。リニューアルの業者さんも銭湯系のデザイナーさんではありません。イメージとしては“新しい寄合所”みたいなものを考えています。今回は“銭湯はこうあるべきだ”という概念を変えようと思っているんです。どうしてもここで働いている限り、自分の中に銭湯に対して固定概念ができてしまうというか。それを一掃して作り変えたいなと。今までのみどり湯を超える概念を呈示できたらいいですね」

清水さんは、2021年9月から自由が丘の駅近くで音楽サロン「Jiyugaoka music gallery」の経営も始めた。もしかするとここに“新しい寄合所”のヒントがあるのかもしれない。
「19世紀ヨーロッパのサロン文化の復興のようなことを考えているんです。ピアノ・フルート教室のほかレンタルスタジオをしています。日本では珍しいピンクのグランドピアノを置いていますが、コンサートホールとは違う音の響きがあります。小さなサロンならではの音楽というものを追究していきたいですね」

華やかなムードの「Jiyugaoka music gallery」(写真提供:みどり湯)

さまざまなチャレンジをしている清水さんだが、「銭湯を経営しているという感覚はない」ときっぱり。
「ギャラリーをやったり、今回は音楽サロンを始めましたが、銭湯もたまたま自分の表現の一つとしてあったという感じなんですよ。今回リニューアルでフロント部分にも手を入れようと思ったきっかけも、自分が求めている世界観と、ずれを感じたからなんです。新たに自分たちのやりたいことに銭湯の外観を近づけていきたいんです」

現在のフロント部分も大きく変える予定だという

待合所のノートにはグルメ情報などが書き込まれている

今のみどり湯の待合所は、お客さんが自由に書き込めるノートや子供が読める本が置いてあるなどとても楽しいムードだ。こちらも変わっていくのだろうか?
「もっとひらかれた雰囲気になると思います。どう変わるかは、楽しみにしてください。gallery yururiと連動して楽しめる世界観になるとは思いますね。たとえばコーヒーを出したり、野菜を売ったりするかもしれません。みどり湯のロゴのデザインも変えようと思います。“みどりの色”も濃い緑、薄い緑といろいろある中いったいどんな色なんだろうという基本から考えてみます」
究極の「みどり」を求めて。みどり湯の令和のリニューアルが2022年いよいよ本格スタートする。
(写真・文:銭湯ライター  目崎敬三

【DATA】
みどり湯(目黒区|自由が丘駅)
●銭湯お遍路番号:目黒区12番
●住所:目黒区緑が丘2-7-14(銭湯マップはこちら
●TEL:03-3717-4516
●営業時間:13~22時
●定休日:木曜
●交通:東急東横線「自由が丘」駅下車、徒歩7分
●ホームページ:https://midoriyururi.com/

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