池袋駅西口を出て繁華街を抜け、歩くこと15分。駅周辺の喧騒とはうって変わり、落ち着いた雰囲気の池袋西十字商店会沿いにある「前田湯」を訪ねた。
入り口には「まえだ湯」の看板がかかり、その隣には花屋さんが営業している。なんだか花屋のほうが目立つような……。
「うちは兼業で花屋も営業しているんです。銭湯のフロントが花屋とつながってますよ」と出迎えてくれたのは、3代目の西村正行さん。日本広しといえども、花屋を兼業する銭湯はここだけではないだろうか。なんでも以前、銭湯の隣で営業していた花屋さんが引っ越すことになった際に、花屋をやらないかと誘われて始めたそうだ。
西村さんは現在72歳。15歳のときから父の仕事を手伝うようになって、もうすぐ60年になる。「勉強が嫌いだったので風呂屋を継いだんです(笑)。風呂屋は真面目にコツコツやっていれば食うに困らない。この仕事に誘ってくれた親父に感謝していますよ」。現在は奥様と4代目の息子さんの3人で、銭湯と花屋を切り盛りしている。
長年、風呂屋の仕事をこなしてきた西村さんの手は、大きくてごつい。節くれ立ち、風格漂う手だ。「熊手じゃないけど“お金をかき集められるように”ってことかな。大きな手に生んでくれた両親に感謝しなきゃね。昔の風呂屋は体を使う仕事が多かったから大変でした。オート三輪で、深川をはじめ都内各地に燃料を集めに出掛けたものです。今は持ってきてくれるから楽になりましたよ。この60年で風呂屋の仕事もだいぶ変わったね」。
前田湯の歴史は古い。大正時代の初めに浅草で銭湯を営んでいた正行さんの祖父がこの地にあった銭湯を購入し、「和倉温泉」という名前で営業していたというから、約100年の歴史がある。昭和に入ってからは正行さんの両親が営業していたが、戦争で新潟へ疎開中に周辺は空襲で焼野原となり、店も焼失。
戦後は近所の人々から銭湯再開の要望が多く、物資不足の中でなんとか材料を調達し、昭和24〜25年頃に再建した。「父は疎開先の新潟で、運送会社に勤めていたんです。そこの社長に銭湯再開の相談をしたところ、材木を調達して東京へ送ってくれたそうなんです。大恩人ですね」。そして昭和32〜33年頃にビル化。昭和49年には銭湯の上にマンションを増築し、現在の姿となった。
それでは、店の中を見てみよう。花屋を兼ねるフロントを通り、脱衣場へ。ビル銭湯にもかかわらず脱衣場の天井は高い。2階部分には、まるで手すりが張り巡らされたような凝った装飾が施されている。これはかなり珍しい造りだ。
午後4時半、開店。次々に来店する常連さんとともに浴室へ。広々とした浴室の壁際は、モザイクタイルで装飾されている。こちらのお湯の特徴は、4つある浴槽がそれぞれ異なること。深風呂→超音波→バイブラ→薬湯の順に温度が少しずつぬるくなる。「普段、家の風呂につかっている人や子供は、熱い風呂が苦手だからね。好みの温度でつかってもらえればと思って」とご主人。
一番ぬるめで、ゆっくりつかれる薬湯は宝寿湯だ。冷え性、肩こり、肌荒れなどに効果があるという。浴室にただよう漢方薬の香りをかぐだけでも心安らぎ、お客さんの人気も高い。あつ湯好きの筆者は、ぬるいほうから順につかって最後にあつ湯の深風呂でしめた。
さて、ご主人に60年にわたる風呂屋稼業を振り返ってもらった。
「私はどんな仕事でも“大変だ”とは思わないんです。感謝して喜んで仕事する。それが幸せへの近道なんじゃないかな。頑張っていれば不思議と周りの人が支えてくれるもんですよ」
「家内にはどんなに感謝してもしきれません。家内がいなければ、うちはとっくに潰れています(笑)。家族仲良く商売できているんだから、本当にありがたいことです」
また、ご主人は銭湯を営みながら、40年以上地元消防団に所属し、現在は団長を務めている。一年を通して訓練があり、時には深夜の出動もある。並大抵の心構えでできることではない。「私の辞書に大変という言葉はない」というご主人だが、長年地域に根差した商売を行ってきただけに、人一倍地元への貢献意識が高いのだろう。
約100年にわたって親しまれてきた前田湯。屋号は一帯の旧地名である「字前田」からとったものだ。長年、地元民に愛されてきた地域密着型銭湯で、今宵のひとっ風呂をどうぞ。
(写真・文:編集部)
【DATA】
前田湯(豊島区|池袋駅)
●銭湯お遍路番号:豊島区21番
●住所:豊島区池袋4-12-25
●TEL:03-3971-2261
●営業時間:16時半〜24時
●定休日:日曜
●交通:山手線「池袋」駅下車、徒歩15分
●ホームページ:——
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