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●30年がかりの再開発で風景が一変した駅前
府中は多摩地域の拠点として発達してきた町の1つである。「府中」という名は、律令時代(8~12世紀末)に置かれた武蔵国(東京、埼玉、神奈川の一部)の国府所在地を意味し、江戸時代には甲州街道の府中宿が置かれるなど古くから政治や経済の中心地として栄えてきた。
駅からも近い大國魂(おおくにたま)神社は武蔵国の総社であり、創建は景行天皇41(111)年というから2000年近い歴史を持つ。国の天然記念物に指定されている参道のケヤキ並木は平安時代に源頼義・義家父子が、奥州安倍一族の乱を鎮圧した際に祈願成就の御礼としてケヤキの苗1000本を寄進したことに由来するなど、なにかと歴史エピソードが多い町だ。
もう1つ、府中といえば東京競馬場を思い浮かべる人も多いかもしれない。1933年に目黒から府中へ移転してきた競馬場は、日本ダービー、安田記念、秋の天皇賞、ジャパンカップなど数々のGⅠレースが開催される。
古い歴史を持ちつつ、ギャンブルの香りもする町柄を反映して、かつての府中駅南口には数多くの飲食店や商店が建ち並ぶ庶民的な商店街が形成されていた。しかし、1990年代初頭に始まった再開発により現在では商業ビルが立ち並び、30年がかりで近代的な町並みへと大変貌を遂げた。そんな府中駅の近くには東西に銭湯が1軒ずつあるのだが、今回は西側にある旭湯を訪ねた。
駅を出て府中のシンボルである大国魂神社へ連なるケヤキ並木を超えて東へ向かう。「宮西国際通り商店会」の看板を掲げた商店街を進んでいくと、閉店した飲食店が目に付く。貼り紙を読んでみると「町作りへ協力するために閉店する」とあった。このあたりも数年後にはまったく違う風景になるのだろうか。駅から徒歩約6分で旭湯に到着した。
広々としたロビーを取り囲むように、なぜかマリリン・モンローのポスターがたくさん飾ってあるのがユニークだ。
「このお店は昭和40年代前半に、亡くなった主人の父が買い取って始めました。それまでは中野のほうで銭湯を営んでいたそうです」と話すのは、旭湯の吉国洋子さん。
「私がお嫁に来たのは昭和51(1976)年なんですけど、その頃、旭湯の周りは一戸建てばっかりだったんです。隣は大きな料亭でね。後援者がこの辺りの人だったみたいで、横綱・北の湖が優勝すると大宴会が開かれたのを憶えています。料亭の大広間が開けっ放しで、うちの2階からどんちゃん騒ぎがよく見えました(笑)」
現在の旭湯の周辺はマンションが建ち並び、隣に料亭があったとは想像もつかないが、ほのぼのとした昭和の風景が思い浮かんでほほえましい。
「春になると、料亭の板前さんがワラビのアクを抜くのに使うからって、釜の灰をもらいに来たり。うちには松の木があったから、料理に添える松の葉をあげたりしてね」と洋子さんは昔に思いをはせる。
●熱い湯につかりたい人におすすめの深風呂
午後3時半の開店に合わせて、常連さんたちとともに浴室へ向かう。早い時間の浴室は、高窓から差し込む太陽の光が立ち上る湯気を照らし、どことなく幻想的な風景である。その湯気の向こうで出迎えてくれるのが、丸山清人絵師による富士山のペンキ絵。男女にまたがって描かれた富士山は雄大そのものだ。
ペンキ絵の下には底面から噴出する細かい泡が体を包むミクロバイブラ、ジェットが背中や足を刺激する座風呂、深風呂の3つの浴槽が並ぶ。
深風呂の壁には赤い字で「あつい湯」と表示されており、思わず尻込みしてしまいそうだが大丈夫、少し熱い程度なので疲労回復にもちょうどよさそう。取材で訪れたのは2月の身を切るような寒い日だったが、深風呂に肩までつかっていると体の芯まで温まり、こわばった体がゆるんでいくのがよくわかる。
話はそれるが、銭湯のお湯といえば以前は「熱い」が代名詞であったが、近年はぬるめの炭酸泉などの浴槽が増えているほか、全体的に温度も下がっているように感じる。なので、昔ながらの熱(あつ)湯好きに旭湯はおすすめだ。ミクロバイブラと座風呂は熱くもなく、ぬるくもない適温でいずれも刺激が心地よい。
そして浴室の入り口の脇には、サウナと水風呂も設置されている。「サウナができてから毎日来ている人もいるんですよ」と、洋子さんが話すほど熱心なファンもいるサウナの内部は2段で奥行がある作り。蒸された木の香りに心が安らぐ。コンパクトな室内にはテレビやBGMはなく、無心で過ごすにはちょうどいい。囲いの向こうにあるストーブはしっかりと熱く、最前列にいるとじわじわと熱さが伝わってくる。壁に設置された砂時計が2回転したところで退室。
水風呂も冷たすぎず、ちょうどいい。サウナを利用せずとも、深湯でしっかり温まった後に水風呂につかる温冷交代浴がおすすめだ。体が温まった状態で水につかると、まるで体の表面にできたぬるい膜に包まれているような不思議な感触が心地よい。サウナ、あつ湯、水風呂を行き来していると、気持ちよすぎてなかなか浴室から出られない。湯上がりは気分爽快、体はホッカホカだ。
●両親が入院、勝手がわからず写真を頼りに湯を沸かす
さて現在、旭湯は洋子さんと息子の義憲さんの2人で切り盛りしている。義憲さんは、以前は別の仕事についていたが、5年程前から店を手伝うようになった。
「7~8年ですが父が病気で入院して、母が湯沸かしなどバックヤードの仕事も頑張っていたんです。ところが母もケガをして別の病院に入院してしまった。その頃、別の仕事をしていた私は、銭湯のことが全然わからない。それで、バックヤードの機械の写真を撮って病院に持参して、あれこれ父に尋ねて少しずつ湯沸かしなど機械の仕組みを憶えていきました。あの頃は病院を行ったり来たりで大変でした(笑)」
洋子さんと義憲さんに銭湯のやりがいについて尋ねると「お客さんとのやりとりは、やっぱり楽しいですよね。部活帰りの高校生とか小学生のグループとか、いろんなお客さんが来ますし。そういえば東京競馬場でGIレースが開催されるときは何日も前から競馬場の入り口にファンが泊まりこんで並ぶんですけど、交代で風呂に入りに来ますよ(笑)」(義憲さん)
「それで競馬が終わったら、みんな一杯やるでしょ。だから府中は昔から飲み屋がすごく多いの」と洋子さんは笑う。いかにも競馬の町らしいエピソードだ。
さて、冒頭で紹介した大國魂神社といえば、毎年4月30日~5月6日にかけて開催される「くらやみ祭り」が有名だ。「月曜は定休日なんだけど、くらやみ祭りの時だけはお店を開けるんですよ。やっぱりお神輿をかついだりした後は、お風呂につかりたいだろうと思うから」(洋子さん)
くらやみ祭りは御神輿や大太鼓、山車行列などさまざまな行事が一週間にわたり行われる、多摩地域有数の大きな祭りだ。参加する人にとって、行事の後に旭湯でひとっ風呂浴びるのは欠かせない習わしだろう。洋子さんの言葉からも、町の暮らしに旭湯がしっかりと根付いていることを感じた。
府中は古い歴史が残る一方で、競馬場が町のにぎわいに一役買っており、その二面性が町の魅力となっている。高札場、蔵造りの酒屋など、江戸の宿場町の雰囲気が今に残る町を散策した後に、旭湯でひとっ風呂あびるのはいかがだろうか。
(写真・文:編集部)
【DATA】
旭湯(府中市|府中駅)
●銭湯お遍路番号:府中市 6番
●住所:府中市宮西町3-6-2(銭湯マップはこちら)
●TEL:042-361-9362
●営業時間:15時半~23時(日曜は14時から営業)
●定休日:月曜
●交通:京王線「府中」駅下車、徒歩6分
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