東京を中心とした銭湯の浴室でよく見られる富士山のペンキ絵。現在、約500軒ある東京銭湯のうちペンキ絵が描かれている銭湯は約130軒で、1年から数年おきに専門のペンキ絵師によって描き替えられていく。現役の銭湯ペンキ絵師3人のうち、最も若手なのが著者の田中みずきさんだ。ペンキ絵を描くようになったのは、美術史を専攻していた大学時代、卒論のテーマとしてペンキ絵を取り上げたのがきっかけ。ペンキ絵に魅せられた田中さんは、後に「現代の名工」の一人にも選ばれた絵師の中島盛夫氏に弟子入りして技術を学び、2013年に独立した。
本書は半生を綴った前半と、ペンキ絵の考察に関する後半で構成されている。実は本書の発行後、筆者がペンキ絵の制作現場で田中さんと顔をあわせたことがある。その際、「プライベートを書いた前半部分は読み飛ばして、後半のペンキ絵に関する部分をぜひ読んでほしい」と照れまじりに話していたが、大学時代からペンキ絵と富士山について長年調査してきた田中さんだけに、中世の茶の湯、葛飾北斎が描いたおもちゃ絵、富士塚などの疑似体験装置といった視点からの富士山に関する考察は深く、読み応えがある。浴室で何気なく目に入る富士山のペンキ絵も、本書を読んでから目にすると印象が変わることだろう。
さて、多くの人が銭湯を日常的に使っていた昭和の時代までは、ペンキ絵の下には広告が並び、脱衣場には割引チケット付きの映画ポスターが貼り出されていた。つまり人が集う場所だからこそ、広告掲示の場所として価値があったのだが、家庭風呂の普及による利用者減に伴い、銭湯は広告掲示の場所としての価値を失っていった。
ところが銭湯の数が激減した結果、逆にその希少性が価値を持ちはじめ、現在では再びメディアとしての銭湯やペンキ絵が見直されるようになっている。その結果、田中さんは銭湯経営者からの依頼でペンキ絵を描くほかにも、企業からの依頼でPRとしてのペンキ絵制作も多く手掛けるようになった。ドイツ車の「アウディ」、映画の「シン・ゴジラ」「ジオストーム」「アベンジャーズ/エンドゲーム」をはじめ、熊本県をPRした「銭湯くまモン」、牛乳石鹸×BEAMS JAPANのコラボイベント「銭湯のススメ。」など、これまでかかわってきたPR案件のジャンルは幅広い。
こうしたPR案件は近年生まれたものかと思っていたが、実はかなり前から存在したということを、本書で初めて知った。例えば1970年代には、キャバレーの宣伝のために都内の銭湯で30軒以上、ハワイのペンキ絵が描かれていたという。このようにペンキ絵は広告媒体としての役割を担っていた時代があった。今、ペンキ絵というメディアの価値が見直されている中で、今後もさまざまなモチーフのペンキ絵が登場してくることだろう。
ところで、前述の通り銭湯の数は激減している。最盛期の昭和40年代に2600軒以上あった東京の銭湯も今は約500軒。それはつまり絵師の仕事場が減リ続けてきたことを意味している。約20年前に田中さんがペンキ絵師を志した時点でも銭湯の廃業は続いていたので、そんな状況にもかかわらず絵師を志した勇気には驚くほかない。もっとも会社をやめてペンキ絵師を志したことについては「今、若者から同じ相談をされたら全力でとめる」と本書に記されてはいるのだが。
とはいえ、そういった状況にあるからこそPR用のペンキ絵を手掛けたり、さらには銭湯の枠にとらわれず、ユニクロの広告にかかわるなど、活動フィールドを広げている。「昔ながらのペンキ絵、時代の要望に沿ったペンキ絵、どちらも描いていきたい」と自らの仕事について語る田中さん。今後は、個人で仕事を受けるのではなく、多人数で制作を請け負う「工房」の設立も構想する。自ら道を切り拓くパイオニアスピリッツから勇気をもらえる人もきっと多いだろう。
(文:編集部)
田中みずき『わたしは銭湯ペンキ絵師』
発行:秀明大学出版会
定価:1320円(税込)