平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


古来ご婦人方の黒髪は女の命とされ、日常の手入れ次第でそれなりにその容貌を引き立たせてきた。昔の女性の髪はみな長く、洗髪は大変手間のかかる仕事で月に数度しか洗えなかった。そのため、髪の臭気消しや香料、香油などを用いる等の苦労があった。

私がこの業界に入った昭和20年代後半でも、ご婦人方が洗髪するときは、裏への通い戸をトントン叩き「お湯ちょうだい」と洗髪用桶を差し出していた。「洗い粉」を溶かす熱湯の要請だ。桶の中を見ると卵の白身と布海苔を混ぜ合わせたものや褐色の灰などが入っていて、あまり効果が期待できない代物のようだった。後で知ったことだが、それらの主成分は火山灰や粘土などが加えられた粉で泡立ちが悪かった。その後、髪に艶や潤いを与えるソーダ灰、ホウ酸を混入したモダンシャンプーなども現れたが、洗髪中に洗い粉から出る黒い汚水で床が染まり、周囲の人達に不人気だった。

男性は石けん一個で体と髪を洗っていた。しかし、頭髪が石けんにからみつき、ツメでほじくって取り除くのは手間のかかる厄介な作業だった。そこで、ある方法が生み出され流行した。洗髪後、髪の毛のついた石けんをお尻に5、6回こすりつけ回す。男のお尻には特殊な毛が生えているらしく、こすりつけると、あら不思議、髪の毛がお尻の毛にからまって取れるのだ。名付けて「毛ッ取り菊のご紋章」。なんとも不謹慎で不道徳な名称であるがあけっぴろげなところが、上下のない銭湯らしい!?

昭和30年になると、石けんメーカーのパイオニアである花王石鹸から女性待望の画期的な粉末の洗髪剤、その名も「花王フェザーシャンプー」が発売された。界面活性剤を主成分とした合成洗剤で、泡立ちの良さ、爽快感があるところから圧倒的人気を博し、市場シェアが80%にも達したという。

その後、チューブ入り、1回分に小分けされたものなどへ細分化し、さらに液体濃縮型へと改良されていった。こうして、シャンプーは日常生活の中で当たり前のものとなっていったが、最近ではさらに進化してリンスとシャンプーが一体化したものもある。こうして、シャンプーの普及は女性の黒髪(いや現在では茶髪か?)を、いつも爽やかで艶やかな状態に保ち、そして街を華やかにしてくれている。

銭湯でも、シャンプーの発展に応えるように昭和30年代後半頃からシャワー設備を充実させ、利用客の掘り起こしに熱をおびた時代となった。また、昭和50年代中頃になると陶器メーカーが、家庭用洗面台に湯、水、シャワーを備えたものを開発、「朝シャン」なる流行語を生み出した。


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は2003年12月発行/65号に掲載


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「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)