平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


一口に石川県人といっても、加賀と能登では大きな違いがある。

加賀人は北陸の都会人を気取るおっとりした文化人である。働き者の富山県人を酷使してきたのが加賀人で、もちろん江戸時代の話だが北陸人の中では最もプライドが高く、都会ぶる人もいる。人口46万の金沢市には、北陸で最高層の30階建て日航ホテルと全日空ホテルがあり、この規模の都市で両航空会社のホテルがそろっているのは全国でも金沢だけだから、都会意識に陥るのもわからなくもない。だから、本心では富山や福井と一緒にしてもらっては困ると考えているらしい。これには歴史的背景がある。

石川県は加賀百万石の前田家の城下町、金沢と、日本海に囲まれた能登の2つの国からなっている。初代利家が秀吉を支えた功績で、富山、能登の支藩まで含めれば百二十万石と大変な経済力を誇り、学問、文化、芸術に力を入れて、友禅、蒔絵、和紙、染物の分野が発達した。公立の美術大学があるのは京都と金沢だけ。大学の数も全国3位、日展入選者数は日本一、美術館や博物館の入場者も多い。

一方、商売はあまり得意ではないらしい。「お金は人を堕落させる汚いものだ」と考える人が全国4位。「働くことは辛いこと」が2位。いずれもNHKの調査である。また、石川県経済界に富山県出身者が多いのは異様だ。「越中強盗」に対して「加賀乞食」というが、イザというときにどうすればよいかわからず、何もしないで学問と文化に取り組むが、自己満足のためすぐ飽きる。かといって、額に汗して働く気概もないから、乞食になるしかないという意味である。

だが、能登人はかなり様相が異なってくる。「能登はやさしや土までも」といわれ、加賀人と違って人情味にあふれ、ヨソモノにもやさしく接してくれる。今でも、金沢・能登のパッケージツアーに参加する旅人は、一様に「とても同じ県へ旅をしたとは思えない」と口をそろえる。どこへ行っても気さくでサービス精神に富んでいる能登人と、お高くとまる加賀人の落差を感じるためだろうか。

加賀藩は昔から脱藩者が一人もいなかったという。「変化のない穏やかな生活が一番楽しい」が全国4位、「男は女より優れている」は2位以下を大きく差をつけトップだ。その一方、見栄っ張りで家具調度品、アクセサリーなど高級品ほどよく売れる。結婚式は名古屋に負けず劣らず派手で、後継者に無言のプレッシャーにならなければよいが……。

石川出身の浴場経営者は圧倒的に能登出身である。加賀出身の人も少しいるが、変化のなさや見栄っ張りに耐えられない脱藩者なのだろう。

参考資料:「出身地でわかる人の性格」岩中祥史(草思社)


【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は2005年6月発行/74号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

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