平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
前号で「獲節会」とともに紹介した「新湯浴友会」は、獲節会設立の3年後、昭和34年に創立された。初代会長に今は亡き元東京都浴場組合理事長・栃倉晴二氏、発起人には長沼三郎・平松吉弘・広井幸平・高張末松の各氏が名を連ねた。会員は銭湯業界最大の二百余名でスタートし、越後弁丸出しの正調佐渡おけさ、岩室甚句など女性の彩りを添え、故郷の雰囲気そのままの会だった。現在は長沼三郎氏を経て高張末松氏へ会長は変わったが氏の元でもその賑やかさは不変である。また、富山県上市地方出身の銭湯人で立ち上げた「上市会」「一六会」なども多くの会員が参加した。石川県加賀から古きは「一八会」、信仰の霊山・白山を頂いた「白山会」、能登からは元理事長・澤井秀雄氏を中心とした「澤の会」など……北陸三県出身者は集まりを作って賑やかに切磋琢磨した。そうして結束を固め「オラが里の秀才」を組合役員に送り込もうという運動も加熱していった。
さて、銭湯経営者で「財」を成したものの中には黒幕、親分といわれ複数軒の銭湯を持って子分・一族・一派を増やしたものもいた。これらの経営者は金銭の貸し付けや生活面の世話を行う見返りに「げたを履く」(※)“頼れる”スポンサーだったようだ。
ここで、現在は活動していない会も含めて、北陸三県出身者による集まりの一部を列挙してみよう。
石川県 「東京一八会」「白山会」「能登 澤の会」
富山県 「一六会」「上市会」「塁東会」「となみ会」
新潟県 「講和会」「獲節会」「新潟浴友会」
混在の会 「大田26会」「友交会」「立川26会」「水豊会」「幸和会」「浴寿会」「大岡稲荷会」「末伸会」「村上寿会」「友信会」「山田睦会」
この数からも昭和30年代の北陸三県出身者の強い結束と活発な活動ぶりが見てとれるのではないだろうか。政界の「数は力なり」と派閥の力学を説いた大臣の名セリフは銭湯界でも幅を利かせ、当時の組合執行部は代々その色濃しというところだった。
現在はこれらの会を始めた創業者群も二代目、三代目へと代替わりした。現在活動している会も、今では郷土色が薄まり三県出身者がうまくかみ合ってホットな湯加減をなし、業界の発展と結束を強めるための場として一役買っている。
※「げたを履く」は利子をとるという意味の銭湯業界の言葉
東京都浴場組合の歴代理事長と出身地 その3
7代目 | 小穴隆太郎 | 富山 |
8代目 | 伊藤嘉平 | 富山 |
9代目 | 澤井秀雄 | 石川 |
10代目 | 西田喜一 | 富山 |
11代目 | 水島正一 | 富山 |
12代目 | 綾部雅紹 | 富山 |
現理事長 | 高橋元影 | 石川 |
【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。
【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は2004年12月発行/71号に掲載
■銭湯経営者の著作はこちら
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)