平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
昭和58(1983)年秋、ある人から「渋谷に面白い物件がある」と聞き、調べてみた。地上4階建ての土地付きテナントビルで、それも全階埋まっていて、4階が売り主のオーナー事務所になっていた。
すでに高田馬場にアパートを持っていたので、これ以上無理をすることもないと思っていた。しかし年の瀬も迫り、売り主が急いでいて値下げするという。
そこで借り入れ増額を相談しようと東浴信用組合に行った。今は亡き金山常務にこの物件を調べてもらったところ、掘り出し物だという。結局、全額借り入れをお願いして、その年の12月28日のご用納めの日に、渋谷区役所裏の登記所内で譲渡手続きを行った。
そのビルは債権者の大部分が町金融の怖いお兄さん達で、手続きの場には異様な雰囲気が漂っていた。高額の順に抹消し、お兄さん達が帰った後に売り主に渡された残金はわずか150万円。どんな事情で手放すことになったのか・・・・・・。乱れた白髪が悲しかった。
後味の悪い物件の取引を終え、重い足取りで家路に着き、女房に「家」を購入したことを報告した。
翌日、渋谷区桜丘の現場に女房を連れて行くと、目を丸くした。
「これって家じゃなくてビル?」
「そうともいうな」
「こんなの、何に使うの? これでまた何年苦労するの?」
「テナントからの家賃で払うのさ」
「アンタはいつも結論だけ報告する」
「相談が抜けてるだけだ。がんばろう」
こんなやりとりがあって1ヵ月後、麻布警察署から呼び出された。2階の服飾業の会社社長が大麻所持で逮捕されたという。繁華街だけに、ビルオーナーも楽じゃない。
満室の居抜き状態を前提に立てていた返済計画が危なくなってきた。他力本願の家賃収入だけでは計画性がないので、渋谷駅南口近くで、若者向きのコインシャワーとランドリーを併設した“シャワーランド三笠”を始めた。
口コミで若者の間に広まり繁盛したが、無人ゆえ、いたずらが横行した。それで急きょ物置を改造、寝袋と防犯カメラを設置し、浴場の掃除を終えてから午前2時にオートバイで通うことになった。
そんなある夜、1人の中年女性がシャワー室内で泊まっているのに出くわした。聞けば「観光だ」というが実は“ワケあり”だった。
北海道の寒村で世帯を持ったが、派手な夫と合わず、単身上京したのが1週間前。職探しの毎日で、所持金も底をつき、シャワー室内に泊まって節約していたという。
北海道にしては東北なまりがあると思ったが、職探しの履歴書には函館出身とあり、道南特有のなまりなら、ウソはなさそうだ。
しかし、その東北なまりが徐々にヘンな方向へ動き出していく。
【著者プロフィール】
笠原五夫(かさはら いつお) 昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。
【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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今回の記事は2002年6月発行/56号に掲載
■銭湯経営者の著作はこちら
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)