「文句もいわず働いてくれているんだから、直せるものは直して使っている」と話すのは、今回撮影させていただいた広尾湯の3代目ご主人、幸田文夫さん。機械に限らず、なんでも長年働いてくれたものは、動かなくなったからといってすぐに買い替える気にはならないという。「直して使ってほしい」といわれている気がするからだそうで、お店への深い愛着を感じさせる言葉だ。

広尾湯は日比谷線広尾駅2番出口から徒歩30秒。私の知る限り、地下鉄の駅から一番近い銭湯である。

広尾湯の創業についてはご主人でも確かなことはわからず、記録として残っているのが1918(大正7)年に改装した際の申請書と、昭和初期に撮影されたと思われる木造瓦屋根だったころの写真である。

昭和初期の広尾湯

 

現在の建物は今からちょうど50年前の1971(昭和46)年に建て替えられたもの。外壁の茶色いタイルは当時のままであり、近年建てられた隣接するカフェのタイルが同じ色合いであるところを見ると、広尾湯が街に与えた影響は少なくなさそうだ。

2017(平成29)年に行ったリニューアル工事では、浴室のタイルを剥がし、配管を新しくしたが、背景画のモザイクタイルは50年前に建てられた当時のままである。

広尾といえば、大使館が点在しセレブな雰囲気が漂う街として知られているが、ご主人が子供のころ店の前の通りは未舗装で、商店街には八百屋や魚屋などが立ち並んでいた。1964(昭和39)年のオリンピックを機に地下鉄が通ると、やがて街にビルが建ち並ぶようになり、バブル期には商店街に飲食店や美容室が増えた。昔から変わらないのは花屋、酒屋、魚屋と銭湯ぐらいだそうだ。

ご主人は20代のころから広尾湯の仕事に携わり、50年以上を過ごしてきた。かつて広尾湯と路地を挟んだ向かいには長屋があり、住人たちは広尾湯に通うことが日常であった。ご主人も日々顔を合わせる長屋の住人たちと家族のように接し、長屋の子供たちの成長を我が子のように楽しみにしていた。今ではその子供たちが成長して親となり、子供の顔を広尾湯に見せに来てくれることがあるという。「人との繋がりが銭湯を長年営んできた何よりのご褒美だ」とご主人はいう。

さて、広尾湯を訪れるとまず目を引くのが『廣尾湯』と書かれた看板とのれんだ。筆跡には気品があふれ、広尾の街で異彩を放っている。これは広尾湯のオリジナル桶にも刻まれており、2代目が書いた筆文字が元となっている。その文字を基に2017年のリニューアル時に看板とのれんを製作した。冒頭の言葉のように、昔からあるものを大切にする姿勢がここにも表れている。

現在の日本には、新しいほうが優れているという価値観が強い。それはヨーロッパの街並みと比べると明らかである。使えないからといって、すぐに切り捨ててしまうことが当たり前の社会にならないようにと切に願う。とはいえ、電子機器に関していえば、古くなるとソフトの更新ができなくなり、使いたくても使えない。これからの時代、インターネットを使いこなせないお年寄りが不便な思いをせざるをえないことが気掛かりである。

さて、撮影の後にご主人に誘われ、広尾湯の定休日に必ず来るという喫茶店に連れて行ってもらった。おいしい珈琲をご馳走になり、とても短い時間だったが心の距離が少し縮まる感じがした。別れ際、広尾の交差点で「ありがとう」と差し出してくれたご主人の手の感触は忘れないだろう。私もいつか必ずまたご主人に顔を見せに行きたいと思う。
(写真家 今田耕太郎)


【DATA】
広尾湯(渋谷区|広尾駅)
●銭湯お遍路番号:渋谷区 15番
●住所:渋谷区広尾5-4-16(銭湯マップはこちら
●TEL: 03-3473-0624
●営業時間:15~24時(当面の間、15~23時に変更。※2021年5月31日現在)
●定休日:水曜
●交通:東京メトロ日比谷線「広尾」駅下車、徒歩1分
●ホームページ:https://hirooyu.com/

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今田耕太郎

1976年 北海道札幌市生まれ。建築写真カメラマン/写真家。
2014年4月よりフリーペーパー「1010」の表紙写真を担当。2015年4月からはHP「東京銭湯」のトップページ写真を手がける。
http://www.imadaphotoservice.com/

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