「命がなくなるまでお風呂屋さんでいたいわ」と笑顔で話してくれたのは、昭和4(1929)年創業、杉並区・弁天湯の女将、小池律子さん。15歳で上京し杉並区の銭湯(杉並湯)に住み込みで働き始めた。次第に銭湯の営みのノウハウを身に付け、番台やお金の管理を任されるようになり、文字通りお風呂屋さんの「看板娘」に。

そして22歳の時に弁天湯へ嫁いできた。現在は改装されモダンな入り口のフロント式だが、当時は昔ながらの宮造り建築の瓦屋根で番台式。その面影は今も残り、通りからでも脱衣場部分の屋根瓦が見える。

昔、店の前は商店街で、今より車の通りも少なく、子供達はキャッチボールができたそう。今のフロント式に変わったのは35年前で、その頃杉並区にはまだ100軒近くの銭湯があった。連日500~600人のお客さんが訪れ、最も忙しい時期だったと女将さんは記憶している。

さて、弁天湯は私が26歳で上京してから住んでいた風呂無し部屋の最寄り銭湯で、10年近く通っていたこともあり、数々の思い出が今でも鮮明に蘇る。フロントで若旦那と写真談義に花が咲き、盛り上がりすぎて湯冷めしてしまい、もう一度お風呂を頂いて帰るなど親しくさせてもらっていた。

そして、弁天湯は私が撮影した最初の銭湯であり、私の人生を変えた銭湯でもある。ある日、いつものように弁天湯へ向かっているときに銭湯を撮影することを思いつき、フロントで女将さんにお願いしたところ、快く許可していただいた。

翌日、営業前に弁天湯を訪ねると、女将さんがおにぎりとけんちん汁を用意して迎えてくれた。頼る人もなく上京し、荒波に揉まれて悪戦苦闘し、砂漠のように乾ききっていた私には、女将さんの愛情深いもてなしが心の奥深くまで届き、涙をこらえながらいただいたことを今でも鮮明に覚えている。この弁天湯のできごとが、今も銭湯の撮影を続けている私の原点であり、感謝の気持ちは今も変わらない。

最初に弁天湯を撮影したのは2006年1月7日。それから今回再撮影するまでの10余年の間、写真におさめた銭湯の数は200軒を超える。銭湯の素晴らしさを伝えるため、1軒でも多く銭湯の写真を世に送り出すことが、銭湯写真家である私の使命だと思っている。
(写真家 今田耕太郎)

【DATA】
弁天湯(杉並区|新高円寺駅)
●銭湯お遍路番号:杉並区 23番
●住所:杉並区高円寺南3-25-1
●TEL:03-3312-0449
●営業時間:15時半~25時
●定休日:月曜
●交通:JR高円寺駅より徒歩9分、東京メトロ丸ノ内線「新高円寺」駅より徒歩6分
●ブログ:http://ameblo.jp/bentenyu1010
●Twitter:@bentenyu1010
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今田耕太郎

1976年 北海道札幌市生まれ。建築写真カメラマン/写真家。

2014年4月よりフリーペーパー「1010」の表紙写真を担当。2015年4月からはHP「東京銭湯」のトップページ写真を手がける。

http://www.imadaphotoservice.com/