2019年の調査研究で、銭湯に週1回以上通うと幸福度が上がるということがわかりました。確かに、銭湯が日常生活の一部になっている人や定期的に通う銭湯ファンは、口を揃えて「銭湯は気持ちいい!」「銭湯が大好き!」「まだこの良さを知らない人にも伝えたい!」と熱くポジティブに語る人が多く、伝統的にお風呂を楽しんできた日本人ならば、誰でもこれに異論を唱えることはまずないでしょう。でも、心まで温まるような熱々の幸福感は、一体どこからやって来るのでしょうか。
多くの家にお風呂があるこの時代に、わざわざ公衆浴場に足を運ぶのはそれなりのメリットが感じられるからでしょう。近年はサウナや水風呂が目的で銭湯を訪れる人も多いようですが、生粋の銭湯好きには、サウナや水風呂がなくても十分魅力的、という人も少なくありません。
銭湯での入浴が健康増進により効果的であることや、家庭風呂で入浴するよりもさまざまな面で優れた点があることは、これまでこの連載コラムでご紹介してきた通りです。銭湯と家庭の風呂の違いを比べてみると、銭湯は広くて天井も高く、浴室も脱衣場も温かいこと、湯船が大きく手足が伸ばせること、お湯の温度が比較的高めなこと、これらの要因により体がしっかり温まることがあげられます。1994年に行われた北海道大学の阿岸祐幸教授(当時)の調査で、「小さな湯船より大きな湯船に入るほうが明らかに温まりやすく冷めにくい」ことが証明されたことからも、ごくシンプルにまとめるならば、銭湯は「よりパワフルに血行促進できる場所」ということになります。これは銭湯の大きなメリットといってよいでしょう。
銭湯の大きな湯船は温まりやすく冷めにくい
2008年の少し古い情報になりますが、科学誌「science(アメリカ科学振興協会発行)」で発表された研究に面白いものがありました。米エール大のジョン・バーグ教授が、コロラド大ボールダー校のローレンス・ウィリアムズ氏と共同で「身体的な温度と心理的な温かさの関連を検証する実験」を実施。被験者にホットコーヒーまたはアイスコーヒーをしばらく手に持ってもらった後、架空の人物の特徴が書かれたリストを読んで、その人物の性格特性を評定させたものです。
その結果、温かいコーヒーを持っていた人は対象の人格を「親切」「寛容」などと判断しました。また、この研究への参加に対する報酬を選んでもらう実験を、療法用の温かいあるいは冷たいパッドを用いて行ったところ、温かいパッドを持っていた人は「友人へのギフト」を選び、冷たいパッドを持っていた人は「自分へのギフト」を選ぶ傾向が強いことがわかりました。
以上から、「自分の体が温かいと、われわれは他人をより心が温かい人だと判断し、またわれわれのほうも他人により寛大になったり他人を信じやすくなるなど、自身も心が温かくなる」と結論付けられました。その後の実験でも、手を温めると人との対人距離が近くなること、人を信頼しやすくなることが明らかになったのです。
身体心理学者の山口創氏は「手の治癒力」(草思社)の中で、この実験を次の通り解説しています。
なぜこのようなことが起こるのだろうか。その理由は、大脳の「島皮質」という部分が、身体的な温かさと心の温かさの両方に関与していることにある。つまり、身体的な温かさを感じると「島皮質」が興奮する。この部位は心理的な温かさに興奮する部位でもあるため、他者に対しても温かい気持ちが高まるということになる。(中略)この実験では詳しくは検討されていないが、ポイントは手の温度にあるのではなく、温度の変化にあるという。(中略)つまり、皮膚の温度変化が起きると、それは自分でも気づかないうちに心に影響を与えているのである。
嬉しいことに、この現象は手に限らず、温めるのが体のどの部位であっても同じ結果になるそうですから、入浴にも当然同様の効果が期待できそうです。
銭湯入浴は、すべてを脱ぎ捨て裸で他人と一緒に温かいお湯に入る場所。本来なら緊張してもおかしくない異質な環境にも関わらず、湯上がりには体だけではなく心までポカポカする……と喜びの声が多く聞かれてきたことは、実はごく当然のことだったと、この考察が教えてくれています。日本には長い風呂文化があり、世界的に見てもお風呂好きが多く、皮膚感覚に鋭敏な民族だといわれています。他国に比べ、日本人に温かい心を持った人が多いと言われるのもこの“お風呂好き”と関係があるのではないか? という考えもあるようですが、皆さんはどう思われるでしょうか。
大きなお風呂に浸かって体を温めれば、心もポカポカに!
さて、わずかなことが知らぬ間に心にまで影響を与えるとなると、日常生活の小さな“心地良さ”をもう少し見直そうという気になります。ここでもう1つご紹介したいのが、「肌触りが心の状態をつくる」という説。触れたものの触覚が知らぬ間に心に影響を与えているという話です。アメリカの心理学者の研究によれば、柔らかい布に触れた人は、他人の印象をより柔らかく優しい性格と答える傾向があるそうです。要するに、感触はその刺激とほぼ同じ状態を心に作り出しているというわけです。
つまり、触覚を受け取る皮膚は、ただ体を守るために全身をおおっているものではなく、心にまで影響を及ぼす感覚器といえるのです。実は「皮膚自体が脳のような機能を持っている」と考えられているほどなのですが、なぜ皮膚にはこのような力があるのでしょうか?
前出の山口氏の「手の治癒力」には、次のように解説されています。
受精卵が卵割を繰り返して胞胚期といわれる時期があるが、このとき細胞は3層の構造に分かれている。外側から外胚葉、中胚葉、内胚葉という。それらの層は次第に分化して、いろいろな器官に分かれていくのだが、実は皮膚と脳は同じ外胚葉に由来するのだ。脳がない生物は現在でも非常に多いが、皮膚がない生物はいない。皮膚は脳ができるはるか以前に、生物の発生の初期にでき、脳に匹敵する情報処理機能を備えていったのである。
人間の触覚はとても優れていて、わずか1ミクロンの凸凹も感知するそうです。とりわけ指先は触覚の受容器の密度が非常に高く、さらには「全身の触覚を解析する脳のシステム」の中で手が占める面積が大きく、体のどの部位よりも手が脳に与える影響が大きいというのです。
触覚のことでは以前、このコラムで、入浴のほかに、マッサージやハグなどのスキンシップでしあわせホルモンと呼ばれる「オキシトシン」が分泌されることを紹介しました。
いうまでもなく、プロのマッサージはとても心地良いものです。しかし、オイルを使ったマッサージではセルフマッサージのほうが心地良いという研究報告もあり、一時専門家の間で話題となりました。これについては個人差が大きいような気もしますが、オイルやクリームなどの滑剤の有り・無しで行ったセルフマッサージの実験でも、滑剤を使ったほうが覚醒水準を下げてリラックスできるという報告がありますから、入浴時、または湯上がりに何かテクスチャー(材質感)の良いものを肌に付けてセルフマッサージを行うと、リラックス効果がより高まりそうです。
このほかにも花王株式会社が、「1秒間に5cmくらいの速度でゆっくりやさしくなでるとオキシトシンがより分泌しやすくなる」と発表しています。ですから例えば入浴中、あるいは体を洗うときや湯上がりに、ボディソープやボディローションなどを塗り、ゆっくりとやさしく皮膚をなでてオキシトシンを分泌させることができれば、さらに入浴による幸福度が上がることでしょう。時間は5分以上が推奨されています。
余談ですが、逆に交感神経を優位にしたいときはどうすればいいのでしょうか。例えば、疲れているけれどさらに頑張らなければいけないときや、集中力を高めたいときは、何も付けずに速いスピードでマッサージすればいいとのこと。確かに何かに張り切って取り掛かるとき、無意識のうちにてのひらをこすり合わせたりする人を見かけますが、無意識とはいえ意味のある動作だったのですね。
以上を参考に、これからは銭湯でただお湯につかるだけではなく、セルフマッサージやセルフタッチも意識的に取り入れ、幸福感に満ちた健康づくりに役立てていただくと、入浴がさらに有意義なものになるでしょう。
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