平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
10月8日、いすにうずくまっている人がいる。ぎっくり腰か、それともと不安がよぎる。「大丈夫?」
Dさんが声をかける。Dさんは優しい。その声に励まされてか、その人は健気にも自力で立ち上がった。いずれ我が身か。
「明日の朝は冷えそうね」
誰かの声。
「でも紅葉が奇麗になるかもよ」
「日光がいいわ」
「湯西川がいいわ」
しばらくの間、紅葉見物の話に花が咲く。
その夜は急に気温が下がり、気温の変化に対応できず、うろたえた。歯が浮く、肩が凝る、足腰が冷たい、布団に入っても筋肉痛はおさまらない。部屋の隅の一年中出しっぱなしのストーブを思い出す。まだ早いか、いや、ためらうことはない、逡巡(しゅんじゅん)の末、点火。早速部屋の空気は温まり、痛みは徐々に消えた。2、3日前は汗ばむ陽気だったのに。
10月10日、番台で奇麗な花柄のタオルをそっと手渡された。最近番台には若い息子さんが座っている。そっと出されたその控えめな仕草に、「私だけ?」とうぬぼれ、人に見られないようにそっと袋に仕舞った。
脱衣場に入り、カランへ目を移して、頭を包んだDさんのトレードマークの赤いタオルを探す。
おけを並べて料理上手のDさんにいろいろなレシピを聞きながら、体を洗う。先月改装した天井や壁の白さがひときわ眩しい。湯船の中にはラベンダーがたっぷり入った袋が浮いている。心は旅の気分、袋をぎゅうぎゅう揉む。銭湯の味をおぼえたら、遠くまで行くことない、私はここの温泉で充分。ほんと、ほんと。ありがたいわね。お風呂様さまです。
湯上がりタオルで身体を拭いているDさんに手ぬぐいを貰ったことをこっそり報告する。Dさんも花柄のタオルを袋から出した。
「あら、私だけかと思ってた」
「ちがうわよ、今日は『銭湯の日』なのよ。みんなにくれるのよ」
とDさんの説明で了解。
そこへ
「お土産買ってきたわよ」
と威勢のいい声がした。振り向くと、この間いすにうずくまっていた人である。
「鬼怒川温泉へ行ってきたのよ、紅葉がきれいだったわよ。お料理もおいしくて」
「それでぎっくり腰も治ったわけ」
「寿命ものびたわ」
10日の東京の夜の気温は、一寸低めだったがラベンダーの効用か、筋肉痛にも悩まされずぐっすり眠れた。因みにラベンダーは保温、神経痛、筋肉痛に効果があるとか。花柄のタオルにも癒された日であった。
【作者プロフィール】
文:島田和世(しまだ かずよ)
昭和5(1930)年、東京浅草生まれ。博徒の父と芸者屋を営む母のもと、終戦まで浅草・谷中・亀戸などで育った生粋の下町娘。著書に短編集『橋は燃えていた』(白の森社)、小説『水鳥』、句集『海溝図』(ふらんす堂)、自伝『市井に生きる』(驢馬出版)がある。
挿絵:笠原五夫(かさはら いつお)
昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。なお、平成28年以降は長男が「松の湯」を引き継ぎ、現在も営業中である。
2006年10月発行/82号に掲載
■銭湯経営者の著作はこちら
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
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