平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月✕日

開店早々に見えた60半ばの常連男性。今日は近所の商店の袋をぶらさげてやってきた。
「何か買ってきたの?」
「うん、夕飯のおかず」
この人、独り住まいなんである。そして続ける。
「俺、惣菜を買うときはそこの××屋なんだ。サービスがいいからいつも買ってやるんだ」

買ってやる……。近年、どうもこの手の言葉が多いようだ。来てやった、買ってやる……。ご本人は無意識に使っているのかもしれない。しかし聞いてるほうは何か横柄な感じに響く。恩着せがましくも聞こえる。アタシャ人間が古いせいかとてもこういう言い方はできないし、態度も取れない。ということで今日は風呂屋のオヤジの繰り言を聞いてもらおうかな。

毎週、敬老入浴日になるとお見えになる70過ぎの男性。今日はめずらしく孫を連れて普段の日、つまり有料入浴をなさった。そして帰り際に言う。
「俺、遠くから来てるんだ。うちの近所に1軒風呂屋があるんだけど、そこを通り越して来たんだ。また来てやっからね」
「ええ、お願いします」
とまあ、ご返事をしたんだが、 それにしても70の分別もあろうという大人が「わざわざ……」と言う。ありがたいと思いな、ですかねえ。

そりゃあアタシも客商売、はるばる来ていただくことは感謝ですよ。けどねえ、お客さんだってウチが気にいってるからお見えになるんでしょ。いつもの敬老無料入浴とは違い、たまさかお金を払ったからって「来てやった」はちと大人げないように思いますがねえ。まさか「ここはヒマでつぶれそうだから来てやった」とは言いますまい。エッその通りだって? オイオイ――。

お客さんさあ、そんなにエラソーな態度だと、一緒に来たお孫さんにその姿勢が移っちゃいますよ。子供の教育によくありませんな。

実はアタシね、以前、そういう子供を叱ったことがあるんですな。ついでだからその子供のことも聞いてもらいましょうか。

あれは1ヵ月ほど前だったな。夕方ドヤドヤッと3人連れの小学生が入ってきた。3年だという。時々来ていた子供達なんだが、その中に一人新顔がいた。おそらく仲間に誘われて来たんだと思うが、そいつが来るなり「オイおっちゃん、来てやったぞ!」と抜かしやがった。アタシャ、カチンときた。で、一喝だよ。
「なんだとォ、来てやっただとッ。オイ、子供のクセに来てやったなんてエラソーに言うやつは来なくていいんだッ。帰んなッ」

子供にしてみれば来てやったんだから「ありがとう」の一つも言われると思ったであろうが、いきなり怒られてなんとも不服そうだった。しかし「帰れ」と言われて「じゃ帰るよ」とまではスレていなかった。そこが救いよ、そこで説教だ。
「お前はなあ、みんなと一緒にお風呂に入りたいから来たんだろ。だったら来てやったなんて威張って言うもんじゃない。お前は風呂に入れてもらう、おじさんは入ってもらう。そこでありがとうとなるんだ。分かるか?」
坊主シュンとしやがった。シュンとしたからアタシャ教育課程一つ修了と満足しちゃったんだが、しかし坊主にはまだ続きがあったんだ。

ワイワイガヤガヤの入浴が終わって連中がアイスクリームを求めた。ここでまたくだんの坊主がホザいた。
「おっちゃん、アイス買ってやっからね」
あ〜あ、な〜んにも分かっちゃいねえ。さっきの鬼コーチどのによる熱血指導も? 完全に空振りだった。子供の本質はみ~んな素直なのに、一体誰がこんな教育をしたんだ――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2008年4月発行/91号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫


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