平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月✕日
いつもいろんなお客さんを書かせてもらっているんだけど、今日はとっても愉快なおばちゃんを紹介させてもらおうかな。
週に2日ほど見えるおばちゃんで、丸ぁるい顔に目もまん丸でクルクルとよく動く。つまり愛嬌のある容貌なんですな(おばちゃんゴメンネ。昔はさぞ美人だったんだろうにねえ)。
「おばちゃんは幾つになるの?」
「年? アッハッ、とってるよ」
といった調子である。おばちゃんねえ、そりゃあ年をとってることは分かりますがな。一見して80近くに感じますもん。おばちゃん、幾つになっても女性に年齢を聞くことは失礼でしたかな。
おばちゃんの家は倅(せがれ)さん夫婦が飲食店をなさっているんだけど、
「おばちゃんもお店を手伝っているの?」
「ウン、時々……アッハッ」
言葉尻がすぐアッハッと笑い顔になる。その度に丸ぁるい目がちょいと細くなる。
「それだけじゃ、今はほとんど何もやってないんだね」
「インヤ、やってるよメンヨウなんか」
「メンヨウ?」
「いんや、めんようッ」
「ああ、民謡ね」
「うん、そんで三味線も。ときどき会場なんか借りてお弟子さんと……」
ホウ、おばちゃんは民謡と三味線のお師匠さんでもあるんだ。
う〜ん、人は見掛けによりませんなあ。大したもんだ。
「おばちゃんの田舎はどこなの?」
「ウン、宮城県……」
「そう、それで宮城のどの辺?」
「ず~っと行ったいいとこ。いいとこだよ、アッハッ」
そう、とにかくいい所ですか。
そして明るいおばちゃんが宮城訛りでお故郷の民謡を歌ってんですな、才太郎節なんかね。
♪まチしまぁの〜ハイハイ……♪
な~んて、三味線はじいてね。
おばちゃんのユーモラスな話は仰山ある。もう少し続けよう。
おばちゃんが脱衣場からフロントの小窓をとんとんとノックされた。小窓とは、入浴中に用のできた人がここから用を足す仕組みになっているんだ。
「あのなあ、シャンプーと小さな石けん頂戴! いつもの……」
「いつものって。シャンプーはいろいろあるけど、おばちゃんは何を使ってんのかな」
「ホラ、白いところに青い字が書いてあるいつもの。ホラホラ……」
ホラホラって言われてもねえ。アタシャ2・3種類のシャンプーをおばちゃんに差し出した。
「え〜とどれだったっけなあ。わかんなくなっちゃったアッハッ。うん、これにしよう。それで小っちゃな石けんとシャンプーでいくらになんのかな?」
「二つで390円」
「そう、じゃ出てから払うからねアッハッ」
そして湯上がり後、フロントで言う。
「え〜とさっき買ったのは何だっけな」
「シャンプーと石けんの小さいやつで390円――」
「そっ、この頃忘れっぽくてしょうがないんだアッハッ。なんでもかんでもすぐ忘れっちまう、アッハッ、年だからボケてきたんだよねえ、ボケッ。ダンナさんはまだボケがないでしょ?」
「ボケ? アタシだって同じよ。大分ボケてきたもんねえ」
「そう、ダンナさんもボケてきたの、そうなのアッハッ……」
おばちゃん、アタシもボケてるって言ったら嬉しそうな顔をしたが、おばちゃんねえ、アタシャかにボケていますよ。でもねえ、おばちゃんに面と向かって嬉しそうな表情をされると何やら滅入っちゃいますなあ。
こんなボケの人生川柳がありましたっけ。
《わからない 思い出しても わからない》――。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし)
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2007年12月発行/89号に掲載
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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
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