平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月✕日
男の子が二人連れでやってきた。小学校6年だという。とりあえずAとBにしておこう。ここんとこ時折見えるんだが、まずは数日前の話から――。
この子たち、脱衣場に入るなり携帯電話を掛けだした。さらに入浴後もロビーで、アイスをなめながらケータイを離さない。
今日ビのご時世は小学校の低学年でもケータイを持ち歩いているから、6年坊主がケータイを玩具にしていてもさして驚かないが、それにしてもこの二人、ツルんで風呂へ来ながらおもちゃ(ケータイ)遊びに忙しく、それ程おしゃべりをするわけでもない。特にBは掛けまくっている感じである。
「お前らよ、そんなにケータイを掛けて、一ヵ月、相当な電話料がかかっだろ?」
それに対してAは「そんなに使わない」と答えたが、Bはなんと「ウン、5万円ぐらい」と軽く言い放った。得意気でさえある。
「エッ5マンッ? オイオイそんなに使ってお父さん怒らないか」
「ウン、少し言われたけど、怒んない」
「お父さん、会社の勤めか?」
「ウーウン、会社の社長……」
坊主、ちょっと自慢そう。
そうかあ、エライんだな。しかし、小学6年の子供に5万もの電話料を使わせるとはねえ。「親の甘いは子に毒薬」(よみうり寸評)という厳しい言葉もあるけどなあ。
そして今日である。フロントへ来るなりBが五千円札をポンと出した。Aは定額180円である。
「オッ、大きいの出したな。お前のお小遣いか?」
B、アタシの言葉には返事せず「早くおつり頂戴!」と手を差し出した。ウルセエなあ、大きなお世話よ、といった雰囲気だ。
小学生が入浴料に千円札を出すことはままあるけど、五千円札っていうのは極々少ない。そこでアタシャまたまた聞いてみた。
「お前たちお小遣いは月にいくらって決まってんのか?」
Aが言う。
「ウウン、要るときお母さんからもらう」
Bは返事をしない。でアタシャしつっこく「お前も決まってないの?」と返事の催促である。
B、面倒臭そうに「別に……」ときた。それがどうした、と言わんばかりである。ウーン素直じゃねえなあ。
アタシャ、長~い湯屋稼業でさまざまな子供と接してきたけど、近年どうも子供の反抗期、突っ張りという現象が低年齢化してきてるような気がするんだ。つまり子供の持つ素直さ無邪気さが小学校高学年になるともう少なくなる――そんな感じなんだな。
で、思うんだけど、こういう傾向はテレビやゲーム機、ビデオ、あるいは携帯電話などなどを含めて、文明の急激な発達の影響が子供に必要以上の知識を植え付けてしまい、子供をヘンに早熟にしちゃうんじゃねえのかなあ。
昔から銭湯は子供にとって遊びのスポットだった。であるからアタシャ周囲に迷惑を及ぼさない範囲で遊ばせるようにはしてきた。
しかし、子供の遊びは当然ながら羽目を外し、脱線しがちである。そうなるとアタシャ雷を落とす。
「こらあッ、お風呂はプールじゃねえんだぞ、静かに入れッ」
怒られた子供はシュンとする。そこで今度は柔らかく話して聞かせる。そんなとき子供の表情にフッと素直さが浮かぶんだ。その素直さがアタシにゃ、なんとも救いであったんだがなあ。
子供から素直さを失わせるのは社会の悪影響もあるだろうが、根本は親の躾にほかなるまい。
子供は素直であってほしいよ。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし)
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2006年8月発行/81号に掲載
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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
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