平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月✕日

近年、お礼の値打ちが下がったのか400円のフロ代にマン札を出される方がちょいと増えている。おつり9600円である。あるが硬貨でジャラジャラお渡しするわけにもいかんから、 当方あらかじめ用意はしておく。そしてお客さんも風呂屋のゼニ箱をご配慮なさるのか例外なく一言添えられる。

これがまた人柄がにじみでて面白い。そこで福沢諭吉(一万円札)のフロント交信録? という次第。

「これでいいですか? 今月はもうこれ1枚になっちゃったんで」
遠慮がちに一万円札を出した青年。真面目な表情で言われると、あながち冗談とも思えない。 最後の1枚に別れを惜しんでいるようにも見えてしまう。わるいねえ。

体格のいい30代男性のマン札。
「オッ、でけえの出したな」
「ええ、体にあわせました」
ウン、 これはウマイ。

次に50代の男性。 四つ折りにした一万円札をカウンターへぽんと置き
「おつりない?」
とぶっきらぼうに言う。アタシャ平凡に
「ありますよ」
と申し上げたんだが。

しかしねえ、いきなり「つり銭ないか?」 と聞かれて、もし「ハイ、ないんです」と答えたらお客さんどう言うんだろ。なけりゃつりはいらないよ――な~んて間違えても言うわけねえしなあ。

70過ぎのご夫婦がお見えになった。奥さんが入浴料を払われる。
「あの~、帰りに商店街で買い物をしていこうと思うんで、一万円をくずしてくれますか?」
「ええ、いいですよ」
アタシャ気安く応対した。ところが隣にいたご主人がバシッとおっしゃった。
「だめだよッ、お風呂屋さんは両替所じゃないんだ。ちゃんと出しなさいッ」

ホホウ、風呂屋は小銭の商いだから迷惑をかけちゃいかんという気遣いですな。筋の通った人だ。

さて、真打ちの登場と参ろう。50年配のご婦人で時折のお客さんだがスラッとして目鼻立ちのはっきりした方。 そう、美人である。

このご婦人、フロント前で大判の財布を取り出し、財布の中に手を突っ込みながら困ったような表情でアタシに聞いてきた。
「あの~細かいのがなくて……。大きいのでもいいでしょうか?」
「大きい? 大きいって福沢諭吉ですか? それとも樋口一葉(五千円)かな?」

アタシャ、ちょいと気取って聞き返した。 何せ、風呂屋のオヤジはすぐカッコつけたがるんでね。そしたら美人さん、小首を傾げニコッとしておっしゃった。
「フクザワさんです……」

ホウッいいねえ。 風呂屋のオヤジのくだらんシャレにちゃんと反応してくれるじゃないか。 ウン、この方は知的でもあるな――。アタシャ満足よ。 で、おつり9600円、 野口英世(千円札)9枚を揃え小銭600円を添えて丁寧に差し出したんだ。 そう、風呂屋のオヤジはまったく単純なんである。

 

○月×日

中年のおばちゃん(もっともおばちゃんはみな中年だがね)。入浴料を払い、ついでに100円玉をポンと出した。
「これ両替して、ドライヤーを使いたいんで……」
「10円玉ですね」
「そう、10円、10個ない?」

モシモシ、おばちゃんね、風呂屋は小銭で商売してんですよ。いくら不景気でも10円玉が10個ぐらいはありますがな。これが10円を一万円にっていうんなら考えちゃうし、10万円を10円玉に替えてっていうんなら、もっと考えちゃうけどさあ。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2005年10月発行/76号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫


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