平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月✕日
フロント前の商品ケースをじっと眺めている男性。 最近見えるようになった40過ぎの人で独身だという。 建築関係の仕事らしいがゴツイ感じのヒトである。
そのゴッツイさん(ごめんね)がショーケースから取り出したのはボディシャンプーに洗顔クリームの2品。 そして言う。
「俺、洗顔クリームは××がいいんだけど、置いてないんだね」
ホホウ、ブランド志向ですかあ。アタシャ独身氏の日焼けした顔を改めて眺めたよ。自分がそうだからっていうわけじゃないが 「顔なんか石けんでつるつるって洗えば済んじゃう」ような大まかなタイプに見えたんですがねえ。
ところがお肌はパウダーインのボディシャンプーにお顔は皮膚にやさしいという洗顔クリームである。何やら女性的で、お顔とまったくつながらない(失礼)。 ま、独身男性はいくつになっても磨きをかけることは必要なんでしょうが、人は見かけに……ねえ。
さて、お次に登場願うのは常連でやはり40代の独身男性。こちらは勤め人さんだが小柄で一見、 神経質そうな人。ところが、
「俺ね、さっきランドリーで洗濯をして、それから風呂に入ったんだけど石けん忘れちゃってさあ」
「そう、じゃ石けん使わずに入ってきたの?」
「いんや、洗濯洗剤があったからそれで洗ってきちゃった」
「ホウ、洗剤でねえ。それでさっばりした?」
「ウン、泡も立つし、結構キレイになったよ」
手に下げた洗剤の箱をちょいと見せ、顔をツルッと撫でた。
ウーン、おおざっぱ。この人も顔とつながらない。神経質そうに見えながら洗剤で体を洗っちゃうなんて、ねえ。いかに不精なアタシでも真似はできない。人はホント見かけによらないもんだ。
○月×日
夕方のフロント。吹きまくる不況風が一向に止まず、鈍い客足に無聊(ぶりょう)を持て余しているところへお見えになった70半ばのおばちゃん。なんとも丁寧な物腰と言葉使いをなさる方でアタシの「ゆっくり入ってください」にいつも「恐れ入ります」とお応えになる。風呂へ入るのに「恐れ入ります」 だよ。ゼニをいただくアタシのほうが恐れ入っちゃう。育ちがいいんですかなあ、とにかくそんな方。
今日は「ご無沙汰しております」がイントロだった。
「お宅様はいつも込んでいますでしょ。 それで実家の近くのお風呂へ行ってたんですの。ホッホッ」
ホッホッねえ。しかし昨今の銭湯、厳しいご時世にみんな悪戦苦闘してんですわ、当方も毎んちがもう苦戦の連続なんでさあ。
「そうですかあ、うちもヒマで困ってんですよ」
「いえいえ、お宅様は満員でございますもん。ホッホッ。いつ来てもお宅様は満員ホッホッ」
ウッヘッ、今度は「お宅様と満員とホッホッ」の3重奏だよ。参ったな。けど、この3重奏、 あながちお世辞や冗談ばかりとも思えないんだよな。察するにこの方、昔の混雑した銭湯のイメージを今に引きずり、ちょっとお客さんがゴタゴタすればもう満員にしちゃうんじゃないのかな。少々時代離れも感じさせるおヒトである。やっぱり育ちがいいんですかねえ。
「それではいただきます――」
ホッホッが済んだら最敬礼をなさって静々と脱衣場へお入りになったが、今、浴室には4、5人の先客がいる。お客さん、上がってきたらきっとおっしゃるよ。
「お宅様は今日も満員、お忙しくて結構ですわね。ホッホッ」
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし)
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2005年6月発行/74号に掲載
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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
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