平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月×日
近年、常連さん以外でも折々にご夫婦、恋人などなど、カップルでお見えになるお客さんが増えている。いずれも仲睦まじくお出でになるんだが、どういうもんか、フロントにいるアタシには男性が例外なく相手に対してやさしく見えるんですなあ。いえね、こういったからって女性が威張っているってことでは決してない、女性もやさしいんですが――。
そこで今日はそんなカップルをちょいとスケッチしてみようかなと思った次第。
20代のアベックが入ってきた。
「あのォ、二人なんですけど」
女性が財布を取り出した。男性も払うような素振りをみせた。
「ワリカンより、男が払ったほうがカッコいいけどね」
アタシャ、男性にちょいといってみた。男性、ニコッとしたけど何もいわない。
女性がいう。
「いえ、ここはあたしが払うんです。彼にはお風呂の後のお茶代を持ってもらいますから」
ホホウ毅然としてるわい。まだ友達のような段階に見えるけど、主導権はすでに彼女が完全に握ってるな。男性クン、やさしいだけじゃダメだよ(余計なことか)。
女性が主導権といえばこんなカップルもお見えになる。時折のお客さんで、50前後のご夫婦だが、このお二人は入浴時問が極端に違うんである。つまり、奥さんは優に2時間は入っているという長風呂の方。対してご亭主は30分そこそこなんである。
フツーならご亭主は奥さんの長湯を承知なんだから先に帰るであろう。何しろ1時間半もの差である。東海道新幹線なら東京から名古屋まで行っちゃう時間である。ところがご亭主は帰らない。
ご自分の入浴を済ますと、脱衣場の椅子に座ってテレビを見たり半眼を閉じてウツラウツラから果てはグーグーとなって、時の過ぎゆくのをひたすら待つんである。
そして2時間が経過する頃、女湯から「出るわよッ」の一声。これでご亭主シャキッとなり急ぎ足で出てくる。フロント前で奥方の荷物を受け取り、奥方の後についてお帰りになるんだが、まさに婦唱夫随。これぞ究極のやさしさじゃないだろうか。
続いては車でお出でになる熟年のご夫婦。まずは玄関前で車から降ろしてもらった奥さんが、ご主人の荷物も持って一足早くフロントへ。その後、駐車を終えたご主人がゆっくりとお見えになり、奥さんの告げる入浴時間に鷹揚にうなずかれてご入浴となる。
ところがご主人はいつも奥さんのいう時間より一足早く上がってくる。実はこの「一足早く」が奥さんへの心遣いなんですな。一般的なカップルならロビーで待ち合わせてご一緒にお帰りになるが、ご主人は早めに出て車を店先に待機させ、奥さんをお待ちになるんだ。なんともやさしいんである。
アタシャ湯上がりの奥さんに申し上げた。
「今お宅の運転手さんがベンツでお迎えに来てます」
「ホッホッ、アリガトね」
さて、シンガリに登場するのは30ちょいのカップルである。夕方のフロントだった。
男性が二人分の入浴料を払い、型通りに入浴の時間を打ち合わせる。そして
「のどが渇いたな」
とフロント前の冷蔵庫からジュースを一本買い求めた。そして、またそしてである。男性が軽く一口飲むやスッと女性に缶を渡した。女性も軽く飲んでご返杯。さらにもう一往復……。以心伝心、無言のままアタシの目の前でジュースの缶が行ったり来たり……。
モシモシ、あのねえ……。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2004年8月発行/69号に掲載
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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
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