平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月×日
夜7時、中学生が6人、ドヤドヤと入ってきた。中2だという。
「オマエら、そんなにでけえ図体で中学生か。中学生は大人料金で400円なんだが、浴場組合でサービスをして300円」
「マジで?……。やったあ」
とまあ、プロローグは無邪気でよかったんだが――。
10分後、常連の高校生クンがフロントにご注進だ。
「おじさん、今入った中学生ね、あいつら海パンにゴーグルをつけて風呂へ入っているよ」
「エエッ、ほんとかよォ……」
アタシャ愕然とした。中学生に」もなって風呂で海パン……。ウーン許せん! アタシャ血相を変え憤怒の形相モノスゴク(オイオイ落ち着けッ)、浴室へ飛び込んだ。
中学生どもは風呂場の中央に固まってしゃべっている。みんな腰にタオルをしっかり巻いている。
「オウッ、海水パンツをはいているヤツはどいつだッ!」
アタシャ、どいつだッ! と大喝しながら、ドイツもフランスも、否も応もない。連中の腰のタオルを片っ端からめくっていった。
ホウ! みんなチョビチョビとはえてやらァ。外見だけは生意気に一人前じゃねえか。
海パン着用は2人。そのうちの1人は首にゴーグルもぶらさげている。あとの4人はマトモである。その中に当湯へ来たことのある子もいたんだが、アタシャ一蓮托生的に怒鳴りつけた。
「オマエラなッ、中学2年にもなって、銭湯とプールの区別もつかねえのか。そんなやつはゼニ返すから服着てとっとと帰れッ。
そしてオマエな、オマエはうちへ来たことがあるんじゃねえか。なんで銭湯は海パンで入れねえって教えてやらねえんだッ」
「だって……」
だってもロッテもあるか――。
アタシャ海バン2人を脱衣場へ連行し、スッポンポンにした。
「オマエらはなにかい、自分ちの風呂でも海パンで入んのか」
「いえ……すいません。ボク、健康ハウスしか知らないもんで」
……健康ハウスしか知らねえ?
そうかァ、アタシャちょいと考えちゃった。しかし、取りあえずは一件落着である。周囲のお客さんはびっくりして、あきれて、そして笑い出していたっけ。
墨田区にはゴミ焼却場の余熱利用施設として「健康ハウス」がある。ここはクアハウス的なもので水着を着用して入る。水着であるからゴーグルや浮き輪類の持ち込みは日常的だという。そして近年は、健康ランドなどでこの手の施設が増えているようでもある。
そこで海パンくんだが、この子の感覚は「風呂とは自宅のユニットバスに入ることであり、温泉や銭湯は健康ランド的なプールの延長」ということなんだろうなァ。
ひと昔前に「修学旅行の小学生が水着をつけて風呂に入った」という、今では伝説になっている話があるけど、今日ビのような情報過多のご時世に、その伝説が中学生によって再現されるなんて、アタシャほんとにびっくりよ。
今、銭湯のお客さんの6割以上は内風呂の人たちなんである。家族連れや友達同士が気楽にノレンをくぐってくれるんだが、今日の連中を見て「風呂屋のオヤジはもっともっと頑張んなきゃいけねえな」とつくづく思ったよ。
海パンくんが帰り際に言った。
「おじさん、ごめんなさい。ボクは銭湯をぜんぜん知らなかったんですけど、銭湯って、とってもいいからまた入れてください」
ウーン、素直――。この分じゃ銭湯ファンになりそうだぜ。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2003年12月発行/64号に掲載
銭湯経営者の著作はこちら
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
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