平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月×日
「オヤジさんのところへ来るのももう少しになっちゃった」
「ホウ、引っ越しでもするの?」
「そう、都営住宅が当たっちゃってさあ。江東区のSってとこで、家賃は少し高いんだけど、海が近くて、窓を開けるとお台場や、遠くディズニーランドの灯りが見えてさあ、夜景なんて最高よ」
「ホウ、そりゃいいや。女の子を呼ぶにも最高じゃないの」
このヒト、建築関係の職人さんで、40歳前後らしいが独身である。めっぽう明るくてなんとも愉快なヒトなんである。
「オンナ? そうだなあ、窓際の大きなソファに座ってさあ、白いガウンなんか着ちゃってさあ、ブランデーを飲みながら、女の子と夜景を眺めて語り合う……な~んちゃって。フェッヘッヘッ」
テレビのトレンディードラマの一場面みたいなことをいい、テレたように笑った。新居での願望なんですかなあ。面白い人でしょ。
面白ついでにもうひとつ。
1ヵ月ほど前だったが、このヒト、脱衣場からフロントへ急を告げるようにいうんだ。
「オヤジさん、テレビのチャンネル変えてッ!」
「テレビ? 何を見るの?」
「なんでもいいから回してッ」
なんでもよければ変える必要がなかろうに、なに急いでんだろ。
アタシャ、リモコン持って脱衣場へ入ったよ。テレビの画面には皇太子と雅子妃殿下が映っている。
「雅子サマが出てるだろ。俺、こんな格好で見ちゃ悪いもん」
ホホウ、なるほど。このヒト、湯上がりのすっぽんぽんである。雅子サマに裸を見せることは誠に申し訳ない、心苦しい。だから早く早く……と急いだのである。
愉快なお客さんが引っ越すという。ちょっと寂しいな。
〇月×日
アタシね、フロントでときどき幼児に絵をかいてやる。なに、かいてやるったって、アンパンマンとかドラえもんのマンガをかくだけである。まあ幼稚園の子供よりはいくらかマシという程度の代物だが、それでも適当に色を塗ってやれば子供は無邪気に喜んでくれるんだ。ところがー。
夕方、おじいちゃんに連れられて5歳の男の子がやってきた。
「ボクはアンパンマンが好きか」
「ウン、好き……」
じゃ、お風呂から上がるまでにおじさんがアンパンマンをかいてやろう――と、いつもならこうなるんだが、今日はなんとなく話の展開がアウトコースへそれた。
「お父さんにアンパンマンをかいてもらったことがあるか?」
「ウン……」
「お父さん、絵がウマイか?」
「ウン……」
そうか、お父さんウマイか。アタシャ「かいてやろう」というセリフがいえなくなっちゃった。
さて、次は60代のおばちゃん。アタシが、“ドラえもん”をかいているのを見ておっしゃった。
「ダンナさん、あたしにも“ステキな男性”の絵をかいてよ」
「ステキな男性? オレは自分の顔をかくのが下手なんだよなあ」
「??……」
残念――、おばちゃんにはアタシのシャレが全く通じなかった。
そして後刻、この話を娘にしたんだ。娘のやつ、ケラケラと高笑いをしながらいい放ちやがった。
「通じないのが当たり前よ、ステキな男性っていえば、若くてかっこよくなくっちゃあ。おジイちゃんじゃもう無理、ムリ……」
オイッ何がムリだ。オレだってまだまだ捨てたもんじゃねえんだろうよ。なんでえ、わが娘にしては男を見る目がねえやつだ。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2002年12月発行/59号に掲載
銭湯経営者の著作はこちら
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫