平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
開店早々、2人連れの男の子がニコニコと入ってきた。
「おじさん、中学生なんやけど」
「中学か。中学生は大人料金で今までは400円なんだけど、今年から中学生割引ができたんで100円引いて300円――」
「中学は300円? あの~……もうちょっと……まけてえな」

関西なまりである。関西弁は柔らかく響くせいか、フロ銭を値切られても憎めない感じだ。それとこの少年たちの素直そうな雰囲気がアタシに好感を持たせた。
「オマエたち、どっから来たの?」
「兵庫県……」
「ホウ、兵庫から来たのか」

聞けば夏休みを利用して、中学3年の思い出にと、小遣いをはたいて東京見物にやってきたという。「なんで銭湯に?」というアタシの質問に、こう答えた。

阪神大震災の時、まだ小さかったんだけど、父親と一緒に神戸の銭湯に入れてもらった記憶があるので東京の銭湯にも入ってみたかった――。そして、父親に紹介された宿泊先がこの近くなので当湯へやってきたとも付け加えた。

「小遣い、足りるか?」
「ギリギリやね」
「よしっ、東京の銭湯の思い出に風呂銭、まけてやろう」
「ほんま?」目が輝いた。
「それで、いくらだといいんだ」
「そやなあ、200円はムリ?」
「よしっ、それでいい。サウナも付けてやろう。ゆっくり入んな」
「ウワア、おおきに……」
また目が輝いた。そして小1時間の入浴後、アタシから東京浴場組合の広報誌「1010」と「銭湯マップ」を入浴記念としてもらい、うれしそうに帰って行った。

明日はディズニーランドへ行ってみたいという。道中、気いつけてや。無駄遣いはあかんで――。

〇月×日
「ディズニーランドからおたくの銭湯へ行くには、どう行ったらいいんですか?」
夕方のフロントへこんな電話がかかってきた。
「えっ、ディズニーランド? ずいぶん遠いところからですね。なんでウチなんですか?」
「車であちこち回ってんです。明日は東京タワーへ行くんで、今日は下町の墨田か江東の銭湯へ入ろうと思い、電話帳を見たらおたくの広告が目に付いたので……」

ホホウ、あまたある銭湯の中から当湯を選んでいただいたとは誠に光栄ですな。こりゃあ粗略に扱えない。アタシャ懇切丁寧に(?)道順をご案内申し上げたよ。

到着は9時だった。キャンピングカーで30代のご夫婦と小学生の子供さん2人の家族がお見えになったんである。ご主人がいう。
「石川県から休みを利用して東京見物にやってきたんですよ。2泊3日の予定なんですけど、あたしは銭湯が好きで、石川でもよく銭湯巡りをしてんです。だから東京の銭湯にも入ってみたくて、車にいつも風呂道具一式を積み込んであるんです」

アタシャびっくりよ。千葉のディズニーランドというだけで「やけに遠いな」と思ったのに、北陸の石川県からだとおっしゃる。

ウーン、はるばる加賀は前田さんのご城下からお江戸の銭湯へ湯桶持参でおいでいただいたんだ。スゴイねえ、ありがたいねえ。

それにしても、銭湯は地域密着型といわれてるけど、先日は播州(兵庫県)から少年が来たし、今日は加賀。次は薩摩は島津さんのご城下から来るかもな。この分じゃお客さんはもう全国からお江戸の銭湯へ参勤交代……オイオイ。

さて加賀の皆さん、明日は東京タワーでしたな。とすれば銭湯は山手ですかな。楽しい旅を――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2002年10月発行/58号に掲載


銭湯経営者の著作はこちら

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫