平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月×日
夕方、高校1年だという4人連れがやってきた。全員手ぶらである。それぞれがタオルを貸してくれという。急に思いついて入りに来たんであろう。しかし、ここまではよくあるケースで、別にどうということはない。ドラマ(?)はこれからである。
1時間後、脱衣場がやけににぎやかなんでちょっとのぞいてみた。先刻の高校生が裸でイスに足を投げ出し大声でダベっている。ま、行儀が悪かろうと、大声だろうと、それだけならいい。ところが、4人のうち2人がタバコを吸ってるじゃねえか。アタシャ、タバコを見た瞬間ムカッとした。このヤロー、一人前ヅラしやがって――。
アタシャ、つかつかと脱衣場へ入り、タバコを指にはさんでるヤツの手をいきなりピシャッと叩き、「オウッ、いいかげんにしろッ」と一喝だ。高校生ヤロー、当然「何すんだよォ」と口をとんがらすと思ったが、風呂屋のオヤジの先制パンチに毒気を抜かれたのか素直に「ハイ」とタバコを灰皿にもみ消した。ウン、まだまだワルにはなってねえな。脈はある――。で、先制のジャブから今度はフックだ。
「オレはな、タバコはハタチになってから吸え、なんて説教はしねえ。しかしな、高校生のくせしやがって、吸う場所を考えろってんだ。ここは公衆浴場なんだ。いうなれば公(おおやけ)の場所よ。おまえらがエラソーに吸える場所じゃねえんだ。わかんだろうが」
アタシの早口な怒声に周囲のお客さんもびっくりしたような表情だ。どうなるかとかたずを……のむほどじゃなかったな。そして高校生ヤローだが、アタシのワンツーパンチが効いたのか、つぶやくように「スイマセン……」といい、とりあえずは神妙なフリをして静かになった。一応、一件落着である。
しかし、コイツらにはまだまだ続きがあったんだから、ホントくたびれる連中だよ。
コイツらね、タバコ騒動では神妙になったものの、来てから3時間過ぎても上がる気配がないんだな。脱衣場でインターバルを取っては浴室へ、4人そろって出たり入ったりを何回繰り返したんだろ。周りの客が眉をひそめている。
そこでしょうがない、またまたアタシが出張る羽目になったよ。
「オイッおまえら、そろそろ上がれッ。ここはおまえらの遊び場じゃねえんだ。銭湯で3時間以上もトグロを巻いてるなんて高校生のやることじゃねえぞ。高校生ならもっと行くところがあるだろうが」
坊主ども、アタシの再三の怒鳴り声にうんざりしたのか、やっと帰り支度を始めたよ。
それにしてもコイツらを見てて思うんだけど、一人一人は素直な少年なんだよな。それが仲間とツルむとイキがってツッパり、羽目を外すんだ。気が弱いのか、今日ビの若者の特徴なのか――。
中年男性がフロントでいう。
「今の若いもんはしょうがないねえ。しかし、そう思ってもいえないんだよな。うっかりいうと、今のガキどもは何するかわからんからね。でもダンナは厳しいねえ」
そう、厳しいです。しかし、当湯(ウチ)だから厳しくできるんであって、これが世間(ソト)だったらどうだろう。毅然と注意しても体格のいい4人に反撃されたら、オレはウルトラマン(?)だとリキんでみたところでやられっちまうだろう。そう思うと、やっぱり「われ関せず」になっちゃうだろうなあ。
昔は長幼の序が厳然とあった。大人が未成年の間違いを注意するのは当たり前で、怖がるなんて考えられなかった。それが……。どこでどう歯車が狂ったのかねえ。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2002年6月発行/56号に掲載
銭湯経営者の著作はこちら
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫