平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月×日
祝日のせいかお客さんの出足がよさそうだ。家族連れもそれなりに見えてくれる。こりゃ調子がいいぞ、この分では……と、フロントは捕らぬたぬきの皮算用――。
ところが6時すぎからポツリ、ポツリと当たりだした。本格的な気配もする。ヤーな感じだ。当今の風呂屋はちょいと風が吹いても、客足が鈍るんだ。ましてや雨となれば、もうもういけませんや。
「あーあ、せっかくの祝日もこれで万事休すか」と恨めしい気分でいたところへお見えになったのが、中年の男性氏。この方は宮沢賢治ばりに「雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ」に足を運んでくださる、常連中の常連さんである。
しかしこの宮沢賢治さん、普段から一家言お持ちの方で、当方が「今日は暑いですねえ」と言えば、「ウン、寒いとは言えないな」
こんな調子のお人でもある。
「降ってきましたねえ」
「ウン、晴れてはいないな」
こもっとも――。
「この分だと夜は雨ですかねえ」
「大気予報はどうなの?」
「なんか雨らしいんですよねえ……」
アタシャ商売がらみで、降られちゃ困るんだのニュアンスを込めて言ったつもりだが、賢治さんの反応はアタシの心情なんて一切頓着ない。ニベもないってやつさ。
「そう、雨だって? じゃ、降ると思うよ。降ってもらわなくっちゃ困るよ。ウン、商売人の予想は当たらなければダメだよ。これからどんどん降ると思うよ。ウン、天気予報のプロが降るって言うんだから、どんどん降んなきゃおかしいよ。ねっ、そうでしょっ!」
ウーン、真顔で「そうでしょっ!」って念を押されたんじゃ、何かドシャ降りになんのが当然のように聞こえちゃうよ。賢治さんはクールだねえ。武士の情け(?)がないねえ。
あーあ、話すんじゃなかった。本日はもう開店休業ッ!
〇月×日
もう75だという常連のダンナ。ちょっと見えないなと思っていたが、久しぶりの来店は足を引きずるようにしてお出でになった。
「いやあ、ヒザが痛くなっちゃってねえ。前から少し痛かったんだけど、この間、朝、布団から起きられないんだ。やっと動けるようになったんだけど、参ったよ」
まずは近況報告からである。
「前に痛かったとき、風呂のなんていうの? 超音波気泡っていうのか。あれに当たると調子がいいんで来たかったんだけど、歩けないんだから話になんないよ」
「そうですか。風呂は軽い運動になるんですよ。体の弱い人や障害のある人は入浴で運動不足を補うっていいますからね。広い湯船ん中で浮力を利用して足を動かすといいんじゃないですか」
「そっか、じゃひと運動すっか」
で、小1時間のご入浴となったんだが、上がってきてまたおっしゃった。
「おかげで足が軽くなったよ。久しぶりでさっぱりしたんだが、目方を量ったら2kgも太ってるじゃない、やんなっちゃったよ」
出っ張ったおなかをさすって今度は苦笑い。そして続けなさる。
「医者はやせろって言うんだけどさ。ヒザが痛いと運動や散歩ができないだろ、アンタの言うように銭湯へ来て運動代わりってこともできないし、やることったら食って寝るだけじゃない。だから太っちゃうんだ。それをやせろったってねえ」
「お酒も控えてんですか」
「酒? 医者は控えろって言うんだけどさア、この年で食うの控えて、酒も控えたら、あと何があんの? もう、息してるだけじゃない」
なるほど、家にこもって食って寝て、合間にお酒も飲んで……。こりゃ太りますなあ。やせろったって無理ですわ。お説、まことにごもっともですが――。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2000年8月発行/45号に掲載
銭湯経営者の著作はこちら
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫