平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
夕方、タオルも持たずに手ぶらで現れた男性。30半ばであろうか。ちょっと周囲を見渡すようにしながらフロントでおっしゃった。一見(いちげん)さんのご様子だ。
「あの~、少々お聞きしたいんですけれど、銭湯っていまいくらなんですか?」
「大人は385円です」
「そう、それでサウナなんかあるんですか?」
「ええ、サウナもありますよ」
「サウナのほかにどんな風呂があるんですか?」

おやおや、どうやらご入浴ではなく、当湯を下調べに見えたご様子だ。
「そうですね、いろいろありますけど説明するより中に入って見てください」

アタシャ、男性を脱衣場にご案内し、丁重にご説明申し上げたんだ。銭湯初見参とあればとくとご覧になっていただきたいよね。大事な広報宣伝活動だもん。

男性氏、アタシの説明に一つ一つうなずき「銭湯っていいんですねえ。今度来ます」と一言残してお帰りになったが、お気に召してくれたのかなあ。

それにしても、長年フロントに座っているが、下検分だけを目的にしてお見えになった人は珍しい。多分この方は何事にも綿密な下調べをして行動されるタイプじゃないのかな。

例えばレストランへ行くときでも事前調査だ。
「お宅のお店はどんな料理があるんですか? ホホウ、ヒラメのムニエルにコンソメスープにビーフステーキに伊勢エビのソテー、・・・・・・それで納豆ありますか?」

近年、若年層の多くは銭湯を知らない内風呂育ちのため、「風呂屋のノレンの向こうには何があるんだろう」といった声も聞かなくはない。そんな時に「未知との遭遇」を求めて銭湯を検証しようってんだから、こりゃもう、下見でも下検分でも事情聴取だって風呂屋のオヤジは大歓迎よ。ど〜んどんやって来て。

〇月×日
8時半、「気持ちが悪いっていう人がいますよ」と女湯の小窓からご注進である。見れば中年の奥さんが青い顔でいすにもたれ半眼を閉じている。

スワッ、緊急事態発生! と、アタシャ女湯へ飛び出した。エッ、女湯に造慮なく入んのかだって? アンタねえ、非常時に男も女もありますかいな。

アタシャ医者じゃないけど、一見して「湯あたり」だと診断? した。フロントからの連絡でカミさんも飛んできた。銭湯は時として具合の悪くなる人も出るから、カミさんも心得たもんなんだ。常備してある応急用の毛布セットを持ち出し、まずは横に寝かせる(縦に寝かせるやつはいないよな)。貧血症状は頭を下げて足を上げなきゃいつまでたっても治らない。

「洋服を着ようとしたらフワーッとなっちゃって」と奥さんしっかりしゃべる、力もある。こりゃ大したことねえなと風呂屋のオヤジは判断した。通常湯あたりがひどいともうろうとして言葉も大儀になるもんさ。

「かぜでも引いてたんですか? 血圧は?」
「そう、かぜ気味なの。それで、アタシ糖尿なの。血圧も高いの。そして貧血もよく起こすの」

モシモシ、糖尿で高血圧で貧血・・・・・・ですかあ。カクテルみたいにゴチャゴチャまざっている方だな。
「心臓は悪くないんでしょ」
「なんか心臓も悪いみたい・・・・・・」

ウッホッ、心臓もねえ。それじゃあ救急車だよ。この分じゃ、次は盲腸に脱腸にイボ痔ときそうだな。

奥さんねえ、それだけしゃべることができれば湯あたりなんかすぐ治っちゃいますよ。ホラ、顔に赤みが増してきたじゃない――。

といったことで、お客さん15分もたったら元気回復だ。一件落着後カミさんが言う。
「あの方ね、明日病院の検査があるんで、お昼から食べてなかったんだって」。
ウーン、空きっ腹で目が回っちゃったのかあ。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2000年2月発行/42号に掲載


銭湯経営者の著作はこちら

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫