平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月×日
暑い日が続いている。お客さんに十年一日のごとく「ゆっくり入ってください」と言ってるが、こう暑いとこの言葉は果たして適切なんであろうか。「ゆっくり入って・・・・・・」と言っても「ゆっくり? 冗談じゃない、クソ暑いのにのぼせちゃうよ」と受け取られたんでは逆効果というもんだ。風呂屋のオヤジのひたむきな? 営業姿勢が無に帰する。さあてな――。
要するにこのセリフは「銭湯を楽しんでください」というフロントのメッセージなんであり、「いらっしゃいませ」から始まって、料金を頂き「ありがとうございます」。次いでメッセージを送るという3部作なんだよ。そしてこの3部作、すべてのお客さんに言うつもりだから長過ぎてもいかんし、短くてもよくない。例えば、「今日は蒸し暑いですから、ゆっくり入って汗を流してください」ではちょいと字余りなんだ。
つまりね、お客さんがフロントから脱衣場へ向かうときにタイミングよろしく? 繰り出すことが必要なんで、長いとリズムが崩れちゃうんだよな。
「それほどのもんかよ」と笑われるかもしらんが、そういうもんなんである。だからといって「どうぞッ」「ごゆっくりッ!」と短くしたんでは、これまた号令を掛けているようでいまいち愛想がない。お客さんだって料金払って号令掛けられたんじゃ間尺に合わないだろうしね。で、いろいろ考えちゃうんだ。
くつろいでください。さっぱりしてください。ゆったりしてください。お時間の許すまで――。どれもしっくりこないねえ。
「そんなこと、どうでもいいじゃないか」とまたまた笑われそうだが、風呂屋のオヤジにしてみりゃ笑いごとじゃすまないんだ。ほんと、大まじめよ。
銭湯で快適な入浴を提供するためのイントロである。簡潔にそして明瞭にフロントの意思が伝わる気の利いたセリフはないもんか。ひとつ教えてよ。
〇月×日
小6の女の子がフロントの『1010』を手に取りながらアタシに言うんだ。至って明るい子である。
「おじさん、今度この本にあたしのことも書いてよ」
「エッ、オマエのこと? そうだなあ、何書こうか」
アタシャ、いつもの調子で女の子と気軽なおしゃべりをしてるうちにフト思い出したんだ。「そうだ、この子には日記のネタがあるじゃないか」とね。
この子のおじいさんは、あの「世界のホームラン王・王貞治」のお父さん、王仕福さんのお弟子さんだったんであり、そしてその王さんが――。
話はぐーんとさかのぼって昭和30年前後になる。
そのころ、王さんの実家はうちの隣町にあった「五十番」という中華料理屋さんでね。一日の仕事が終わると王さんのご両親とお姉さん、それに従業員の皆さんが当湯へお見えになっていたんだ。もちろん女の子のおじいさん(当時はまだ30代でしょうな)も一緒。
そして王さんだが、普段は早実野球部の寮生活だったのかほとんど見えないが、実家へ戻ったときなんでしょうな、数回おいでになっているんだ。
昭和32年のセンバツで優勝する前だったと思うけど「早実の王」はもう評判であり、脱衣場でも注視の的だった。アタシャ、王さんの競輪選手のような太ももの大きさに「高校生でもスゲエな」と妙に感心したことを今でも覚えているよ。
その後、昭和40年ごろだったのかな。王さんのお父さんが「五十番」をやめて新宿へ移るときに、女の子のおじいさんがノレン分けっていうんですかね、うちから30mほどの所で「五十番」を開業なさったんだ。現在は女の子のお父さんも手伝いご繁盛である――。
とまあ書いてみたが、これだけじゃ女の子にきっと言われちゃうな。
「おじさん! あたしのこと、ちっとも書いてないじゃない。もっとちゃんと書いてよッ」
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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1999年8月発行/39号に掲載
銭湯経営者の著作はこちら
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫