
●新しさと歴史が共存する街
足立区の銭湯を訪れることが度々ある。昭和の頃から変わらない下町の情緒やにぎわいを感じられる場所が、足立区にはまだ多く残っている。ゆっくり街歩きをしながら、銭湯と一緒にその雰囲気を味わうのが面白いエリアだ。
区内を貫く日光街道が江戸時代から栄え、近代に入ると工業の発展や鉄道の開通とともに人の往来がさらに盛んになっていった。震災や戦火による被害が少なかったため、豊かな自然環境や名所旧跡が多く点在しているのも足立区の特徴だ。
その一方で都市機能の整備も進み、大学誘致をはじめ教育や文化芸術分野への支援、地域産業活性化の後押しを官民一体となって進めている。若者や育児世代が増え、情報が豊かに行き交い、新しい物事に手が届きやすくなった。同じように、古き良きものも大切に見直され始めている。千住にある小劇場で若手アーティストたちによる演劇を鑑賞した後、少年野球の歓声が響く荒川の水辺を散策。新進気鋭のビストロで食事をした後、商店街の老舗惣菜屋で土産を買う。足立の街には楽しみ方がいくつもある。そして銭湯巡りの楽しみもまたしかり。
●「五反田じゃなくて、五反野」
広い足立区のほぼ中心を縦断する東武スカイツリーライン。北千住駅から各駅停車で草加方面の2駅先に「五反野」駅がある。「五反田じゃねえよ、五反野だよ」という絶妙なキャッチフレーズでやや自虐的にも語られる私鉄駅。「五反野」は地名としては存在しておらず、駅周辺は中央本町や弘道、足立といった地名になる。そんな「五反野」駅から北へ、商店街を真っ直ぐ5~6分歩いたところに「若松湯」がある。
この商店街を進むにつれ「○○屋さん」が多いことに気付く。床屋さん、クリーニング屋さん、甘味屋さん、お寿司屋さん等々。毎日の生活に密着した商売を営むいくつもの店が、個性豊かにそれぞれの軒先を飾っている。その中で「街のお風呂屋さん」の役目を担っているのが「若松湯」だ。
●軟水のこだわり
若松湯は昭和30(1955)年5月、当地にて創業。今年で70年の節目を迎える歴史ある銭湯だ。当時、まだ田んぼだらけだったというこの辺りは「千住若松町」と呼ばれており、この地名から屋号が「若松湯」になったという。
創業時の建物は木造。玄関は現在と反対側の裏通りにあり、当時は往来が多かった街道に面していたそうだ。街の様子が変化してゆくのと合わせるように、昭和55(1980)年に現在のビル型銭湯に建て替えた。創業者の山田利四郎さんは新しいものに興味を持ち、商売へ取り入れることに積極的だったとうかがえる。これを機に番台からフロント形式に変更し、サウナも導入。別室に区切った温泉のような趣がある岩風呂も設えた。その後、平成元(1989)年の全面リニューアルを経て現在に至る。
色彩豊かでメルヘンを感じるモザイクタイルは絵画さながらに、遠目に眺めても、また近くに寄って見てもその緻密で素晴らしい造作に飽きることがない。漢方薬草の香りが満ちた岩風呂は扉で仕切られ、時には自分だけの空間として心身に癒やしの効果をもたらしてくれると人気だ。
若松湯で最も際立った特徴が、水に含まれる硬度成分を除去した「こだわりの軟水」だ。現在、軟水を導入している銭湯は多く、それぞれにその効果を提唱している。「最初は抵抗あったんだけどね」と語り始めるのは、若松湯2代目にして当代の山田知孝さん。
ある正月2日のこと。井戸のパイプが故障してしまい、大量の砂が入り込んでしまった。このため急遽、店を閉めることになったのがきっかけで、軟水導入に踏み切ったという。この地域の井水は鉄分が多めだったことも決断の理由になったそうだ。軟水導入はボイラーにも好影響だ。導入にあたっては、当時都内の銭湯では江戸川区の「友の湯」が、まだ珍しい軟水化の先駆けだということで、何度も研究しに通ったという。
「毎日入り続けて効果、良さがわかるようになったね」と山田さんは続ける。「男性のお客さんも、ひげを剃るカミソリの持ちが良くなったと言うよ。軟水はひげも柔らかくするんだね」
ヌルヌル具合を調整するため、機械の調整では何度も試行錯誤と実験を繰り返したという若松湯こだわりの軟水、ぜひ試してみてほしい。
●地域のハブ(hub:集約点)としての銭湯
Q. 最も力を入れていることは何ですか?
A. 活きた街、活きている商店街をつくること。
山田さんは続ける。「以前は近所の店同士が挨拶を交わすことすら少なかった。それでは商店街として外からの人を呼び込めない。だからまずお互いに明るい挨拶をすることから始めてみたんだ。そうしたら次第に活気が出てきてね、それからイベントを強化した。一過性では無くて持続できるイベントを意識して、年中駆け回っているよ」
なるほど、冊子の表紙のイラストでも、香り湯のポスターでも、足立区の銭湯店主たちがいつも笑顔なのは、山田さんの影響を大いに受けているからなのだろう。ユニークなスタンプラリーしかり、何かと注目される足立区銭湯のヒミツも垣間見ることができる。
「音楽フェス(※)みたいな、若者たちが自然発生的に集まってくるイベントが面白いよね。街頭で音楽が聞こえてくれば、知らない人も足を止めてくれる。若い世代のエネルギーって、楽しいよね!」と語る山田さん。
このイベントは年々参加者が増え、今では五反野を代表する規模のイベントに育ってきたそうだ。活気があるイベントでにぎわう商店街。各店の利用促進にもつながり、リピーター醸成にもなっている。
(※)五反野では毎年11月に「ゴタンノノオト」という音楽フェスティバルが開催されている
「そうそう、これちょっと飲んでみない?」
山田さんがそう言いながら出してきたのは「オロナミンC」と「牛乳」だ。
「ほら、オロポ(オロナミンC+ポカリスエット)って、あるじゃない。あれを牛乳に替えてみたらおいしくてさ」「若松湯が提唱する“オロミ”。どう?」少年のような笑顔の山田さんから飲料を受け取る。
ひと口ふた口、飲んでみる。なるほど、ミルクセーキのような風味……イケますよ! これ。懐かしいような、新しいような。発見ですね!
「量の配分はそのうちこれだ! が見つかるよ。何度かやってみて。ウチで(笑)」
さすが、繰り返しこだわり軟水の加減を試行錯誤してきた人だけある。説得力あるコメントだ。若松湯を起点にこの「オロミ」が広がってゆく日もそう遠くはないだろう。
「風呂屋は人が集まるところ。商店街も同じだね。銭湯に情報が集まって、訪れる人の情報源でありたい。商店街も、訪れる人の情報源でありたいね」
情報を共有して、地域みんなで役立てる。昔は当たり前だった互助の精神。その中心でありたいという。
いいお湯を創りいい街も創る。笑顔の中にも堂々とこの地域を「創って」いる自負、そして強い覚悟が感じられた。
また足立区の銭湯に、五反野の商店街と若松湯に足を運ぶことが増えそうだ。
(写真・文:銭湯ライター 佐藤明俊)
【DATA】
若松湯(足立区|五反野駅)
●銭湯お遍路番号:足立区 54番
●住所:足立区中央本町2-19-11(銭湯マップはこちら)
●TEL:03-3886-5230
●営業時間:15~24時
●定休日:金曜
●交通:東武伊勢崎線「五反野」駅下車、徒歩6分
●ホームページ:https://www.wakamatsuyu.com/
●X(旧Twitter):@1010Wakama2
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