平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月✕日

いつも頭にタオルを載せてお帰りになる男性がいる。60歳ぐらいになるのかなあ。頭髪が薄い方なんで、実際より老けて見えるのかもね。

そんな姿を見た500前後の男性がアタシに聞いてきた。
「オヤジさんさァ、頭にタオルを載せるのは銭湯のスタイルなのかねえ」
「そうね、昔は多かったけど最近は珍しくなっているね。あれはね、皆さんなんの気なしでやってるし、頭髪の薄い人やそうでない人もやっているけど、実はね……」

アタシャここで乏しい知識を得得と説明よ。
「風呂ん中や湯上がりで頭にタオル……という姿はね、単なる入浴風景ではなく、純然たる歴史? があんのよ。歴史だよアンタッ」
「エッ歴史? 頭にタオルを載せることに歴史があんの?」
「そッ、遠いお江戸の時代から続く歴史よ。ちょいとヤヤコシイけど、簡単に説明すっから聞いてくれるかな?」

そこで江戸時代の銭湯の話になっちゃうんだけど、当時の銭湯はね、「ざくろ口」と呼ばれた風呂だったんだよね。ざくろ口だ。へンな前だと思うけど、ざくろ口のいわれについてはいずれ書かせてもらうとして、このざくろってえのはさ、三方をハメ板で囲んだ小屋に浴槽を置き、ヒザを浸す程度に湯を入れて、下半身を湯に浸たし上半身は湯気で蒸す仕組みなんだってさ。

そしてね、こっからが頭にタオルの由来とつながってくるんだけど、浴室の入り口を低く下げて湯気の逃げるのを極力防いだんだね。だから客はその低い入り口の板をくぐるようにして出入りしたんだってさ。アンタ、こんな風呂を想像できる?

このようなざくろ口の風呂も江戸時代から明治になって銭湯の形式が大きく変わったんだ。明治10年頃、神田で銭湯をやってた人が「いつまでも古めかしいざくろ口じゃあるまい」といったかどうか知らんけど、各地の温泉からヒントを得て、ざくろ口を取り払い屋根を高くして湯気抜きを作り、洗い場もず~っと広くして改良風呂と名付けたんだってさ。現在の銭湯スタイルの走りだな。そしたらこれが大評判を呼んだんだね。

ところが物事はいいことばっかりじゃねえんだな。それまでざくろ口は湯気が充満してるから頭まで温まったんだけど、改良式は湯気が天井まで上がっちゃうんで慣れるまで頭が冷えてしょうがなかったらしいんだね。特に禿(はげ)頭の人は冷えがこたえてね。そこで湯に手ぬぐいを浸して頭に載せたんだって。

それからは入浴で手ぬぐいを頭に載せることが習慣になり、入浴ファッションみたいになっちゃったっていうんだよね。

そういえば先日、ドイツ人が入浴に見えた時、浴槽でタオルを頭に載せて入っていたなあ。

こんな姿を見ると、頭にタオルの図はジャパニーズ・パブリックバススタイル(イングリッシュよ。風呂屋のオヤジだって英語を使うんだぜ)で国際的に? なってんだねえ。

そういうことなんだけど、お分かりいただけたかな?
「ウンわかったような、わからんような……」

なんでえ張り合いのねえお人だ。しかしね、頭にタオルっていうのは、なかなかいいもんじゃないか、アンタもやってみなよ。

エッ何だって? 俺はまだハゲてないもん、だと。そっか、しかしもう時間の問題よ、大分前のほうが薄くなってきたぜ――。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2007年10月発行/88号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫


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