ようやく秋も深まってきた感があり、夜間は肌寒く感じる季節になりました。木々が色づき、心地よい風が吹くこの時期、銭湯のさまざまな設備の中でも露天風呂につかるのは格別の楽しみ、という方が銭湯ファンにも多く、露天風呂のあるお店はとりわけ人気のようです。温かい湯に身を委ねながら、冷たい空気を顔に感じる瞬間は、日常の疲れを癒してくれます。なぜ浴室で入浴するよりも、外気に触れながら入浴するほうが気持ちいいと感じてしまうのでしょうか。それは単なる気分の問題だけでもなさそうです。
2000年3月に発行された『日本生気象学会雑誌』という専門誌の第37巻1号に、人間の脳の冷却システムに関する論文が掲載されました(永坂鉄夫・金沢大学名誉教授)。この論文には、浴室の入浴より露天風呂に入るほうが気持ちいい理由が示唆されています。簡単にいうと、「頭を冷やす」から露天風呂は気持ちいい、ということなのです。
「ヒトの選択的脳冷却機構とその医学・スポーツ領野への応用」
怒りで精神状態のバランスが崩れそうなとき、「頭を冷やせ」などとアドバイスしますが、実は本当に脳の温度は高くなるのだそうです。私たちはストレスによって自律神経が興奮し、脈拍を早めたり体温を高めたりという生理現象を起こしますが、怒りもそのストレスの一つだからです。
人間の脳は40.5℃を越すとその機能に何らかの障害が現れるといわれます。そのため激しい運動をしたり、高温の環境下に置かれたりした場合、脳は機能を維持するために、温度を限界点以下にしようとする「冷却機構」が働くことがいくつかの研究で明らかになった、と前出の論文は述べています。目頭と目じりを「眼角」といいますが、そこを流れる静脈血流が冷却機構の一翼を担っているそうです。また、頭部の汗腺は他の部位の汗腺より単位面積で2倍ほど多く、発汗による冷却もその冷却機構の一部になります。さらに冷却機構として、人は上気道から脳の熱を放散する働きも含まれるのではないか、と論文は示唆しています。こうして高温による障害から脳を守ってくれるシステムをまとめて、「選択的脳冷却」と呼んでいます。
つまり、室内で温浴を行う場合は脳も含めた全身の体温が上昇しますが、「選択的脳冷却」によって脳は障害が起きないように守られているというわけです。もちろん限度を超えて温まっていると、のぼせてダウンするのですが、それは脳の体温が許容を超えるから。のぼせたらまず頭を冷やすのは、選択的冷却を正常化させるためにほかなりません。
一方、露天風呂では外気によって頭部が冷却されるため、室内浴ほど脳の温度が上昇しないと考えられます。とすると、露天風呂入浴の「気持ちよさ」は頭部と頭部以外の温度差が影響しているのではないかと考えられます。前出の論文では、頭だけは冷やしたほうが体力は持続するなど、体の機能が向上することをうかがわせる記述があります。以下、抜粋しました。
高体温時に送風その他の方法で頭部を冷やすと、同じ躯幹部温であっても「温熱的な心地好さが増し、最大仕事量が増え、仕事にともない生じる種々のストレスの徴候が減る。頭部の表面積は全体表面積の8%程度だが、頭部に送風した場合のほうが同じ量の風を体表面積の60%に送風した時より、温熱ストレスが小さい。
このように、首から下を温めながら頭部を冷やすことによって、体全体の温度調整がスムーズに行われますから、露天風呂につかる際にも似たような効果を期待できると考えられます。特に、外気が冷たい中で温かい湯につかることで、体が自然と心地よい温度に調整されるのでしょう。こう考えると、真夏の熱帯夜で露天風呂につかるよりも、秋の「月見風呂」や冬の「雪見風呂」のほうが医学的効果は高いのかもしれません。
都内には露天風呂を楽しめる銭湯も多い(江戸川区・鶴の湯)
さらにこの理論に沿うならば、室内浴の場合でも冷たいタオルを乗せるなど頭を冷やしながら湯船につかるほうが入浴効果を高められるのでしょう。熱中症予防で使ったネッククーラーやアイシングサポーターなどを使って銭湯を楽しむのも一興かもしれません。
余談ですが、頭部を冷やすメリットは高度な医学治療の場合もあるようです。転移性の悪性腫瘍の治療のために全身の高体温療法が行われることがありますが、このとき脳の温度の上昇を抑えておけば、熱を上げるために投与する薬の量を増やすことができ、治療効果を高めることができる、という報告があります。
もともと私たちは「頭寒足熱」という言葉を教え込まれてきました。中国発の東洋医学用語であるとする説が有力ですが、18世紀のオランダ人医師ヘルマン・ブールハーフェの言葉だという説もあります。この人は大学で教鞭を執り、いちはやく臨床教育に取り組み、多くのすぐれた医師を育てて、医学の発展に大きな足跡を印したそうですが、彼が亡くなったとき「医学の秘法」という原稿が遺され、最初のページに「頭を冷やし、足を温めること」とだけ書かれて後は白紙だったそうです。真偽のほどは不明ですが、洋の東西を問わず「頭寒足熱」はベーシックな知識なのでしょう。なるべく頭は冷やした状態で、そして体は冷やすことのないように、が真理なのかもしれません。
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