銭湯で一緒になった方から、今中高年の間で社交ダンスがはやっている、という話を伺った。

体を動かすのにもいいし、いろんな人と知り合いになれるから、とも。その方は湯上がりのさっぱりした顔に、ピンク色のサングラスがよくお似合いな方。「あとはカラオケ」と元気一杯でおっしゃる。

話にのった私も「若い頃には勤め先が主催するダンス講習会へ行きましたよ」と回想する。「じゃすぐできるわよ」とおっしゃる。

私がダンスを習ったのは昭和22年頃のこと、講習会の会場は柔道場のあとで、床はブカブカしていた。曲は岡晴夫の唄で「青い芽を吹く、柳の辻に」で始まる『東京の花売娘』。スロークイック、スロークイック。当時はダンスシューズなんて洒落たものはなかった。

会社の先輩で、かつて陸軍将校だった清田さんは革の長靴。それで爪先を踏まれると、飛び上がるほど痛い。それでも、私の友人をはじめ彼に好意を持っている女性達は、なんのその、平気だという。

「ダンスはお酒みたい、心を酔わせ〜るわ」と唄う越路吹雪の歌詞そのまま、女性達の清田さん熱は上がるいっぽう。当時20代の私達はダンスが踊りたくて仕方がない。仕事に身が入らず、心はお昼休みに行くダンスホール、新橋のフロリダや銀座の美松へ飛ぶ。

通ううちに、清田さんに心奪われた女性達ばかりでなく、私もそれまでなんとも思っていなかったはずのある男性に微妙な心の動き。

その頃はまだIT機器はなく、女子事務員は男子の補佐的な存在、特別な人を除いては、お茶汲みが主な仕事。だから待ち望んでいるのはダンスパーティばかり。

パーティ当日はドキドキ、ワクワク、照明を落とした会場に入った。そこではアルトサックスがムードたっぷりな演奏で迎えてくれる。見渡すと、あちらこちらでペアができている。いまや清田さんと、友人は自他ともに公認のペア。

私がひたすら待っている男性はなかなか現れない。やっと来たと思ったら、その頃男性の視線を一身に集めていた「ミス○○」と呼ばれる超美人と一緒。マイアミ・ピーチルンバを楽しそうに踊る二人を後に、私はすごすご退場した。

そして、追い討ちをかけるように4月の人事異動で、清田さんは名古屋の営業所へ、私のお目当てさんは長崎の営業所へ転勤が決まった。

清田さんに心奪われた友人と私は、泣きの涙で東京駅で二人を見送る。発車のベルにホームの陰で泣いた。

社交ダンスの話から、60年前を思い出してボーっとしている私に「今度お教室へいらっしゃいよ」とサングラスの方の甘いささやき。


【作者プロフィール】
文:島田和世(しまだかずよ)
昭和5(1930)年、東京浅草生まれ。博徒の父と芸者屋を営む母のもと、終戦まで浅草・谷中・亀戸などで育った生粋の下町娘。著書に短編集『橋は燃えていた』(白の森社)、小説『水鳥』、句集『海溝図』(ふらんす堂)、自伝『市井に生きる』(驢馬出版)、『浅草育ち』(右文書院)がある。

挿絵:笠原五夫(かさはらいつお) 
昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。
なお、「松の湯」は長男が引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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2009年8月発行/99号に掲載


■銭湯経営者の著作はこちら

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

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