東京では今でも各地で木造の「宮造り銭湯」を見ることができる。その多くは、今から101年前の1923年に起きた関東大震災からの復興を願い、宮大工により建てられたものだ。同じように約百年の歴史を誇るのが「東京喜劇」である。榎本健一(エノケン)と古川ロッパの登場から始まり、アメリカの喜劇映画の影響を受けた、モダンでスピード感あふれる笑いだ。先ごろ出版された書籍『笑いの正解 東京喜劇と伊東四朗』(文藝春秋)は、東京喜劇の歴史を軸に、当代一の喜劇役者である伊東四朗さんを描いた本格的評伝。その著者である演劇研究者の笹山敬輔さんにお話をうかがった。

『笑いの正解 東京喜劇と伊東四朗』(文藝春秋)


伊東四朗さんの体の中に東京喜劇が入っていると思いました

本書を書こうと思ったきっかけですが、戦後の喜劇の歴史を調べていくと、テレビにしても舞台にしても、伊東四朗さんのお名前がいたるところに出てくるんです。一度、別の本の取材でお話を聞かせていだいたことがあるんですが、子供のころに観た歌舞伎のことからてんぷくトリオ、電線音頭のことからなんでも、抜群の記憶力で覚えていて、正確に言葉で説明されるんですね。

例えば、昔の渥美清さんとのエピソードをお聞きしても、途中で渥美さんの声色でお話をされたりするんですよ。その時に、伊東さんの頭の中というよりも、体の中そのものに東京喜劇が入っていると思ったんです。それで改めてお話を歴史に残したいというか、しっかりと一冊の本にしたいということをご本人にお願いして、なんとか実現したという感じです。


昭和時代のてんぷくトリオから、電線音頭のベンジャミン伊東など、コメディアンとしてのテレビ出演に始まり、国民的ドラマとなった「おしん」の父親や大河ドラマ「平清盛」での白河法皇など、近年では役者としても存在感を増している伊東四朗さん。現在(2024年6月)出演中の舞台「東京喜劇 熱海五郎一座 スマイルフォーエバー ~ちょいワル淑女と愛の魔法」の上演中(6月15日)に87歳の誕生日を迎える。まさに令和の今が「全盛期」といえる活躍ぶりである。

今回インタビューをさせていただいて、さらに真面目な方だと感じ入りました。どんな昔の細かいことを聞いても、真正面から真摯に答えてくださるんです。まさにテレビや舞台で見るのと同じく、粋なのに骨太なんです。こちらからすると遥かかなた、雲の上の存在なのに、少しも上の立場からお話になるようなことは全くありませんでした。取材中に『あのお芝居ではこんなセリフがありました』『あの番組ではこういう歌を歌いました』など、ぱっぱっと再現されて、丁寧にお話しされるんですけれど、本物の芸を見せていただいたといいますか、本当にぜいたくな時間だったと思います。


本の中では現在の日本演劇界ならびに喜劇界を代表する、佐藤B作さん、三宅裕司さん、三谷幸喜さんに、伊東さんの魅力についてうかがっています。みなさん、伊東さんのセリフを覚える記憶力、さらに豊かな表現力にもとづく演技力のすばらしさを大絶賛されていらっしゃいます。お三方とも、伊東四朗さんを心から尊敬しているんですね。三谷さんは「伊東さんと同じセリフを同じシチュエーションで言っても、全然うまくウケなかったことがあるんですよ」と感慨深くおっしゃいました。

伊東さんの言葉に「自分は脇役として生きているんです」というとても深いものがあるんです。どんな役を演じても決して目立とうとは思っていないんです。それでも、「このセリフをどう言えば面白くなるか」といったテクニックなどについては、多くの舞台の経験から、実地で知っているんですね。だからこそ三谷さんの言葉にあるように、伊東さんと舞台をやる人は学びがあるというか、さまざまなことを教えてくれるんです。われわれ一般の観客ではわからないような伊東さんのすごさも、プロ中のプロの方にはわかるのだと思います。


演劇研究者である笹山敬輔さんだが、実はもう一つ「経営者」としての顔を持っている。全国の銭湯に置かれている有名な黄色い「ケロリン桶」。1963年に富山の会社である内外薬品の当時の社長の笹山忠松氏が広告用として採用して以来、現在に至るまで抜群の知名度を誇っている。内外薬品は現在「富山めぐみ製薬」に事業譲渡しているが、忠松氏の孫にあたる敬輔さんは両社の社長を務めたのち、現在も経営戦略室長として経営の仕事に就いている。伊東四朗さんの芸歴は60年を越えているが、ケロリン桶の歴史も同じくらい長い。

洗い場が舞台とすると桶は小道具になります

ケロリン桶を採用したのが昭和の東京五輪の前の年ですから、ケロリン桶も62年の歴史になりますね。採用を決めた祖父(忠松さん)は、私が1歳の時に亡くなったのですが、ケロリン桶を始めたときは、営業員のキャラバン隊を率い、昼間は薬の「ケロリン」を売り込み、夜は温泉宿や銭湯で「ケロリン桶」を売り込んで、日本全国を回ったそうです。


伊東四朗さんは「喜劇はお客さんの反応が舞台を作る」とおっしゃっていますが、銭湯も同じだと思います。洗い場が舞台だとすると、桶は小道具の一つになるのでしょうか。会社としてはケロリン桶で薬の名前を覚えてもらうことも重要ですが、まずはお客さんが気持ちよく銭湯に入ってもらうことが大事です。舞台にとっても銭湯にとってもお客さんは大切な存在ですから。

個人的なケロリン桶の思い出ですか? 会社の本社が富山で、東京支社との往復が多いのですが、今は家風呂なので、残念ながらなかなか銭湯に行く機会がないんです。でも、例えば九州に出張に行って銭湯とか入浴施設に入ったときにケロリン桶が置いてあるとうれしいですね。実は、桶がどこに置かれているのかは、会社として正確には把握していないんです(笑)。

それにしてもケロリン桶には多くのファンがいらっしゃいますよね。もともとは黄色ではなく白だったとか、関東と関西では、桶の大きさが違うとか、みなさんいろんなことをご存じです。桶の大きさが違うのは、関東がカランからお湯を出してかけ湯をするのに対して、関西は湯船から直接お湯をくんでかけ湯をすることが多いので、重くないように小さいほうがいいということのようです。

 

東京の喜劇も銭湯も、百年以上の歴史を越えて、これからもますます発展していくことは間違いない。笹山さんの言うように銭湯を舞台だとすると、ケロリン桶も必要な小道具としてさらに存在感を増すだろう。今後、笹山さんがお書きになりたいテーマについてうかがった。

研究者として常に「歴史」を意識しています

研究者と経営者ということで、よく「二足の草鞋」というふうにも言われるのですが、自分にとって製薬会社の経営というものが基盤にあるのは間違いありません。その上で研究者の立場として自分がやりたいこと、好きなものを調べて本を書くなどの形で発表していくということは今後も続けていきたいと思います。

私が常に意識しているのは「歴史」についてなんです。戦後の芸能史や演劇史において、重要な立場なのに著作を発表されていない、もしくはあまり語られていないような人には、とても興味がありますね。例えば、新劇にルーツがあって現在は声優をされているようなベテランの役者の方には、とても興味があります。きちんとお話を聞いて歴史の中にその方の業績を残したいですね。


伊東四朗さんのような、自分の子供のころから憧れていた素晴らしい喜劇役者の方にお話を聞けたというのは幸せな経験でした。この本を読んでいただいて、芸能史の中で伊東さんがいかに大きい存在なのかということを少しでも分かっていただければと思います。そのうえで、これからも伊東さんの喜劇役者のお仕事が舞台やテレビで見られることを幸せに思っていただければと。
(取材・文:銭湯ライター 目崎敬三 写真:編集部)

 

笹山敬輔(ささやまけいすけ) 1979年富山県生まれ。演劇研究者。筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科文芸・言語専攻修了。博士(文学)。著書に『昭和芸人 七人の最期』(文春文庫)、『演技術の日本近代』(森話社)、『幻の近代アイドル史 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記』(彩流社)、『興行師列伝 愛と裏切りの近代芸能史』(新潮新書)、『ドリフターズとその時代』(文春新書)。


【取材地DATA】
今回のインタビューは、かつて花街として栄えた神楽坂で70年にわたり銭湯を営んできた「熱海湯」で行われた。ゲームソフト会社ハドソンが近所にあった縁で、浴室には人気ゲーム「桃太郎電鉄」をモチーフにした「モモテツ」桶を置いていることでも知られる。熱めの湯が人気のレトロ銭湯だ。

熱海湯(新宿区|飯田橋駅)
●銭湯お遍路番号:新宿区 33番
●住所:新宿区神楽坂3-6(銭湯マップはこちら
●TEL:03-3260-1053
●営業時間:14時45分~24時
●定休日:土曜
●交通:中央線「飯田橋」駅下車、徒歩3分
●ホームページ:http://1010yuge-g.jp/

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