平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月✕日

最近、脱衣場で「宝クジ」の話が結構出てんですなあ。ジャンボだ、1億だ3億だと、テレビでもやたらと宣伝しているせいか、この世知辛いご時世に、誰もが億万長者への可能性? がある宝クジに夢を託すんでしょうなあ。

男湯の脱衣場がかなり盛り上がっている。4、5人のお客さんがワイワイやっているのは宝クジの話のようだ。

俺も買った、俺も買ったよから番号は連番がいいんだ、いやバラ買いのほうが、などなど。さらには「1億当たったらどうする?」「そうだなあ、まず一杯飲んでから考えるさあ」と、まあまあ賑やかである。誰かが言った。

「もし、もしもだよ。ホントに1億当たったらヒトに話すかい?」
「うーん」一瞬、沈黙が走ったようだ。そして、また誰かが言った。
「いや少ない金額なら話題になっていいけど、1千万以上だったら絶対話すべきじゃないな」
「そうだよなあ、何が起こっかわからんもんなあ……」

皆さん、ちょいとマジメに考えたご様子である。
宝クジなんてどうせ当たらないよと思いながらも、万が一当たっちゃったら……とは誰でも思うんでしょうなあ。

さて、誰かがお開きの言葉だ。
「どうせ当たりっこないんだから、そんなこと考えてもしょうがねえやな。ま、夢でも見ましょッ」

宝クジは競馬のように当てよう当てようとは考えない。パチンコのように勝とう儲けようとリキまない。当たらなくてもともと、しかしひょっとして……というなんとはなしの期待感があるんですな。

宝クジの話は気楽で明るくて誰でも入れる銭湯向きである。だから脱衣場が盛り上がるんだ。

 

〇月×日

「これ預かって……」
フロントへ小さな袋を出されたおばちゃん。76歳だというが、運動がてらに1kmほどを歩いてお見えになる。どうしてお元気である。

「宝クジが入ってんのよ。3万円買ってきたの」
「ホウ、3万円も……」
「3万円なんかは少ないほうよ。大きく当てるには10万円ぐらい買わなくっちゃダメなんだけど、今はお金がないから3万円なの」
「ホホウ、そんなに買わないと当たんないんですかあ」
「ソッあたしね、宝クジが趣味なのよ。昔はパチンコや競馬もしょっちゅうやっていたけど、今は宝クジだけね」

ホホウ、おっとりしたおばちゃんに見えますけど、ギャンブラーだったんだ。
「じゃ、宝クジは相当年季が入ってんですな」
「そ、昭和58年だから今から25年近くも前になるかな。当時は今みたいにジャンボなんかなかったし、売り場も後楽園とか大きな所だけで、今のドームになる前の後楽園を、買う人が二周りも行列を作っていたんだからねえ」
「ホホウ、スゴイ人気だったんですねえ。それで今まで最高はどのくらい当たったの?
「ウン、30万円……」
「30マン? 100万くらいになりますな」
「そうね。あたしね、当たり番号の新聞なんか見ないの。あせって見たってダメなのよね。当たるかなあという楽しみを先まで取っとくのがいいの。そしてね、日のいい時に売り場へ行って見てもらうのよ。それがちょっとスリルね」

ホホウ、おばちゃんは宝クジに哲学? を持ってんですな。宝クジこそわが人生――。おばちゃん、幸運を祈りますね。


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2006年12月発行/83号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

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