平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月✕日
まずは第一章と参ろう。 風呂屋のオヤジの繰り言だ。
――この頃どうも物事の「やりっばなし」が増えてんなあ。 水は出しっぱなしで止めねえし、扇風機も冷暖房が効いてんだから 『必要以外切ってください』って書いてあんのにつけっぱなしよ。足のマッサージ機だって無料のせいか、誰も使ってねえのに動いてらあ。ロッカー・下駄箱のフタも用が済んだらそのまんま開けっぱなしで帰っちゃうしなあ。
ま、そんな中でも常連さんはさすがにきちんとフォローなさるから、「やりっぱなし」は新しい人に多いのかなあ。
アタシャ、つらつら思うんだけど「止めない・閉めない」 傾向が増えてんのは、世の中が余りにも便利過ぎるせいじゃねえのかな。
例えばね、自動ドアーなんていう代物は、戸の開け閉めという当たり前で簡単な行為さえ必要としなくなったじゃない。 つまり、利便性最優先のメカニズム依存症と、もひとつは自己中心型が多くなっている社会的風潮が「やりっぱなし」を増大させてんだ。 いうなれば……どうも話がムズカシクなっちゃったな。簡単にいこう。
大体ね、やりっぱなしっていうのはさ、例えは悪いけど、トイレに入ってお尻を拭かないで出てくるようなもんじゃねえの。
エッ、今ではトイレットペーパーなんか使わない? ウォッシュレットっていうもんがあんだって? そうかあ……。文明文化の発達は人間をどんどん怠慢にしていくようだ。 そのうち銭湯でも、風呂ン中へドボンと入りゃあ体中くまなく洗ってくれる人間洗濯機みてえなもんが出てくるんじゃねえかな。 味気なくなるねえ――。
さて、第二章に移ろう。
今、出て行ったばかりの常連のおばちゃんが小走りに戻ってきた。
「あれっ、忘れ物?」
「いえ、扇風機を止め忘れたようなので、確かめに……」
ホホウ、わざわざ戻ってねえ。う〜ん、いい人だなあ――。
そして、もうお一方――。
いつも物静かに「いいお風呂でした」とさりげない口調でおっしゃってお帰りになるおばちゃん。
今日も、いつも通りのご挨拶でフロントを背にされたんだが、フロントはね、出入り口の自動ドアが開くと反射的に目がそこへいっちゃうんですな。で、アタシャなんとなくおばちゃんの後ろ姿を見ていたんですわ。そしたらおばちゃんね、下駄箱からご自分の履物を出した後、開けっ放しになっていた3~4カ所の下駄箱のフタをさも当たり前といった様子で順々に閉めてくれたんですよ。たったそれだけのことなんだけど、フツー自分のことはやっても、他人の後始末まではなかなか手が回らないもんなんだけどねえ。
う〜ん、いい人だなあ――。
さらに、もうお一方の登場だ。こちらも常連のおばちゃんである。
「ダンナさん、雑巾ない?」
「雑巾? なんに使うの?」
「ウン、化粧台がいつもビチャビチャになってっから、ちょっと拭こうと思って」
そして、きれいに拭いてくれたんであろう、濡れた雑巾をきちんと絞って返されたんだが、そこでまた一言おっしゃった。
「ダンナさんさあ、化粧台はタオルを絞ったりするから、どうしてもビチャビチャになっちゃうでしょ。だから、あそこに専用の雑巾を置いておくといいんじゃない」
ほう、それはいいアイデアだ。で、早速実行したんである。以後おばちゃん、来る度にさあ~っと拭いてくださるようだ。
いい人だなあ――。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし)
昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2006年2月発行/78号に掲載
銭湯経営者の著作はこちら
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫
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