平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


銭湯の浴槽にどかーんと束ねられた菖蒲の葉、そのまわりを囲む人々。五月五日は、昔は「端午の節句」といったが、今は「こどもの日」。年寄りにはなんだかピンとこない。マンションの立ち並ぶ新宿界隈では、鯉のぼりもあまり見られない。その中、友達のお孫さんが家族で初節句のお祝いをすると言うニュース。
「袴も買ったのよ、鯛は主人が買ってきて」。
今時羨ましいご一家揚げてのお祝い。当然菖蒲湯も用意されたことだろう。毎年欠かさず行く菖蒲湯。菖蒲を目の前にしたみんなの話は思い思いの子どもの頃のこと。

「昔はサ、根をくわえて、ピーピーならしたじゃない」
と言ったのはBさん。
「洗い髪をくるくるっと丸めた先を菖蒲の葉でしばってさ」
と頭に手をあげ、動作を交えて話すGさん。
「あれは頭痛のおまじないなのよ」
と知識人。
「田舎にいた頃、雨が降ると菖蒲の葉を被ってしずくが下に落ちるようにしましたよ」
と言いながら浮いている葉を被って見せる、子供時代を田舎で過ごした方。背中に葉を乗せて湯船から上がる人、葉を根元から揉む人、葉の束に抱き付く人、匂いを嗅ぐ人、それぞれ。

そこへ、ちょうど部活を終えたらしいピチピチのお嬢さんたち5、6人登場。蛇口を押して勢いよく出てくるお湯を浴びる。
「熱い」「ワァー」「キャー」とボリュームたっぷりの声。
「ちゃんと体洗ってから入るんだ」
感心してみる常連のお客。
「元気いいわねえ、いくつ?」
「二十歳です」
「あら、うちの孫と同じ」
途端になにかしてあげたくなるお節介な私。見れば旅行用の石けんを皆で回して使っている様子。お節介のエンジン回転。石けん箱に入っているチビた石けんを取り出すと
「これ使いなさいよ」
と差し出した。一瞬戸惑ったお嬢さん、手を出さない。
と、中で人懐っこい一人が
「いいんですか」
とチビ石けんを受け取る。見る見る内に彼女たちは真っ白い泡に包まれた。
「ねえ、こういうの人情っていうの?」
と一人が小声で言うのが聞こえた。お節介なのか、人情なのか、私にも分からない。ただ使って貰いたかっただけのこと。

若い人のお風呂はカラスの行水、わぁーっときて、わぁーっと出ていった。
「やっぱりこういう行事っていいわね」
「無くさないでほしいわねえ」
昔が懐かしい高齢者達。湯船ではまた菖蒲湯についての一談義。
「中華料理屋では、この葉をニラみたいに切って炒めるのよ」
という人もあれば
「干した根は漢方薬で売ってるのよ」
と言う人もでてきた。
「何の薬?」
「胃の薬よ」
などなど、諸説さまざま。
「肌もきれいになるってことよ」
「若返るってこと?」と期待の声、
「それはどうかしら」


【作者プロフィール】
文:島田和世(しまだかずよ)
昭和5(1930)年、東京浅草生まれ。博徒の父と芸者屋を営む母のもと、終戦まで浅草・谷中・亀戸などで育った生粋の下町娘。著書に短編集『橋は燃えていた』(白の森社)、小説『水鳥』、句集『海溝図』(ふらんす堂)、自伝『市井に生きる』(驢馬出版)、『浅草育ち』(右文書院)がある。

挿絵:笠原五夫(かさはらいつお) 
昭和12(1937)年、新潟県生まれ。昭和27(1952)年、大田区「藤見湯」にて住み込みで働き始める。昭和41(1966)年、中野区「宝湯」(預かり浴場)の経営を経て、昭和48(1973)年新宿区上落合の「松の湯」を買い取り、オーナーとなる。平成11(1999)年、厚生大臣表彰受賞。平成28(2016)年逝去。著書に『東京銭湯三國志』『絵でみるニッポン銭湯文化』がある。
なお、「松の湯」は長男が引き継ぎ、現在も営業中である。

【DATA】松の湯(新宿区|落合駅)
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2008年4月発行/91号に掲載


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「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫

 

「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)


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