2年ほど前に、睡眠時間が認知症リスクに関係していることが分かりました。イギリスの研究ですが、調査開始時に50歳だった約8000人を25年間にわたって追跡調査したところ、中年期に睡眠時間が6時間以下だった人は、認知症になる確率が30パーセント高くなるということです。睡眠の習慣を改善することが認知症の予防に役立つかもしれない、というのがこの研究の結論でした。
では、睡眠時間が足りていれば認知症のリスクは減るのでしょうか。2019年に行われた第120回日本耳鼻咽喉科学会総会シンポジウムにおいて、「睡眠不足や質の悪い睡眠は認知症の促進因子となり、逆に質の良い睡眠は抑制因子になると推測される」という論文が発表されました(「睡眠からアプローチする認知症予防」)。つまり時間だけでなく、睡眠の質も大いに関係があるということです。たとえば、睡眠の質の悪さを象徴する疾患である睡眠時無呼吸症候群の人は、軽度認知障害や認知症を発症するリスクが1.8倍になるという結果を、その論文で紹介しています。
睡眠の質の説明でよく出てくる言葉が「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」。私たちは睡眠中、深い眠りの「ノンレム睡眠」と浅い眠りの「レム睡眠」を繰り返しています。レム睡眠中は基本的に筋肉は動きませんが脳は活動しており、夢はこの時見るといわれます。一晩に私たちはこのノンレム睡眠とレム睡眠を4~5回繰り返します。ノンレム睡眠も深さがいろいろで、最も深い眠りを得られるのが最初の1~2回。寝入ってから約3時間の間に深いノンレム睡眠に達すると脳も体も休まり、朝起きた時に「ぐっすり寝た」という満足感を得ることができるのです。
この「いい睡眠」を実現する方法が温泉入浴だ、と最近話題になったのが秋田大学の研究(5月24日発表)。すでにSNSで情報を発信している銭湯もありますが、ここではより詳しく紹介しましょう。秋田大学が発表した「研究の背景」には次のように記されています。
「入浴は早く寝つき、ぐっすり眠れる効果があることがわかっています。一方で、古くから温泉は、疲労回復や健康増進に用いられてきましたが、睡眠に対する効果は調べられていませんでした。そこで、我々は、健常成人を対象に塩化物泉と人工炭酸泉(天然の炭酸泉は稀有なため人工炭酸泉で代用)が健常成人の睡眠促進に効果的であることを、深部体温や脳波を用いて研究しました。近年、睡眠不足や不眠が認知症のリスク因子であることが報告されていることから、温泉を活用した睡眠改善は不眠症や認知症の予防にも役立つ可能性があります。また、地域の温泉の活用に貢献できる可能性があります」
塩化物泉は、浸かることによって塩分が毛穴をふさいで汗の蒸発を防ぐため、保温力が高く湯冷めしにくいことから「熱の湯」ともいわれています。そのため、神経痛、冷え症、関節性リウマチなどの症状を軽減するといわれています。人工炭酸泉は、これまでの「銭湯で元気」でも何度か紹介したように、東京の銭湯で現在人気の高い設備アイテムとなっています。
秋田大学の研究では、平均年齢20.1歳の健常な男性8名を対象に塩化物泉、人工炭酸泉、普通浴(水道水を沸かした湯)、および入浴無しの4条件で睡眠の評価を行いました。対象者は4回にわたって、いずれかの条件をランダムに割り当てられて就寝前に入浴しました。入浴は40℃のお湯に22時から15分間浸かり、0時から7時まで就寝しました。そして就寝中、簡易脳波計と体温計を装着して睡眠の状況を観察したのです。また、入浴前後と起床時に眠気や疲労感などについてのアンケート調査も行いました。
深部体温の変化のおおよその結果は次のとおりでした。入浴(塩化物泉、人工炭酸泉、普通浴いずれも)によって被験者の深部体温は、入浴しなかった場合より大きな上昇を示し、その後寝る時までに急激に低下しました(入浴無しグループは深部体温の変化があまり見られませんでした)。平均深部体温が最も高くなったのは塩化物泉、次いで人工炭酸泉です。寝るときに深部体温が最も低下していたのは人工炭酸泉でした(深部体温の変化が最も大きかったのは人工炭酸泉。)
眠りの質はどうだったでしょうか。最初の睡眠周期(レム睡眠とノンレム睡眠を約90分周期で繰り返す)におけるデルタパワー(脳波の一種であるデルタ波の量。睡眠の質を評価するために使われる指標)は、入浴したグループすべてで増加しました。デルタパワーの最高値は人工炭酸泉群で記録され、次いで塩化物泉、普通浴、入浴なしのグループが続いています。
塩化物泉、人工炭酸泉、普通浴、入浴無しのデルタパワー量の比較(第1周期の1分当たり):秋田大学プレス発表資料より
結論の一つとして、これまでいわれてきたように、睡眠は上昇した深部体温が放熱によって大幅に低下することと関連していることが再確認されました。また、図のように塩化物泉と人工炭酸泉では、普通浴や入浴なしで観察されたものと比較して、最初の睡眠周期中のデルタパワーが増加しており、深い睡眠が得られたことが分かりました。つまり人工炭酸泉と塩化物泉のグループの睡眠の質がすぐれていたということです。またアンケートで、塩化物泉の入浴後に疲労感が強く出ていたことが分かりました。 この点で、虚弱な高齢者には塩化物泉よりも人工炭酸泉のほうが向いている、と研究報告に書かれています。
睡眠中の脳波を測定して、入浴による睡眠の質の向上が調査されたのはこの研究が初めてだそうです。単にすぐ入眠できるというだけでなく、深くていい眠りが得られるという発見はすばらしいことです。しかも、身近な銭湯の人工炭酸泉でこれが実現できるとは。認知症から逃れる有力なヒントを私たちは得ることができました。今後、更なる研究成果が期待されるところです。
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