平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。


〇月×日
観測史上まれにみる暑さだという。そんな日の夜7時――。
「オヤジさんよォ、今、薬風呂に入ってる連中さ、始めっからず~っと水を出しっぱなしなんだ。風呂が水ンなってるよ。俺、頭にきちゃって文句言ってやろうと思ったんだけどさァ。オヤジさん、怒ってやってよ。あれじゃ後の人はとても入れないよ」

年配の男性が憤然とした面持ちで言う。ウーン、うめ過ぎか。
《ぬる湯好き あつ湯好きにて 風呂はもめ》という古川柳があるように、江戸時代から現代まで、お客さん同士のトラブルで一番多いのがこの「うめ過ぎ」である。
しかし、近年の浴槽はすべてが自動調整になっているから、多少のうめ過ぎもちょいと時間の猶予をいただければすぐ適温になるんである。それと熱い・ぬるいは個人差もあるから、アタシャこの手のクレームにはいちいちとやかく言わないようにしているんだ。

しかし、今日の男性は「お湯が水になっちゃったよッ!」と憤怒の形相? で言うんである。憤怒となりゃあ捨ておくこともできなかろう。で、アタシャ「どれどれ」と軽い気持ちで浴室に足を運んだんである。軽い気持ちでね。

浴室には4~5人の客がいるだけ。そんな中で30代の男性が2人薬風呂で声高に話している。水は出しっぱなしである。薬湯の浴槽は1m60cm四方の小っちゃなもんであるから湯が溢れている。

アタシャ薬風呂ン中へちょいと手ェ突っ込んでみた。ウッ、なんだこりゃあ。驚いた、タマげた、唖然とした。水じゃねえか――。

ウーム、風呂屋は湯を売る商売なんだ。これじゃまったく売り物にならん。軽い気持ちが一気に重くなった。重くなりゃあアタシだって憤怒になる。出しっぱなしの水をグイッと止めるや一喝だ。

「オイッ! ニイちゃんよォ、お湯が水ンなったじゃねえかッ。なんでこんなにうめたんだ。止めることを知らねえのか。そんなに冷てえのがよかったら水風呂があんだから水風呂に入れッ」

薬湯に入っていたニイちゃんたち、アタシの怒声にボワーッとした表情を見せただけで、スイマセンの一言もなくのっそりと湯船から洗い場へ戻った。アタシャ、怒鳴り声が空振りするのを覚えた。あ~あ、わけのわからん連中だ。

とまあ怒ってボヤいたんだが、さァそれからが一仕事だ。何せ水を湯に戻さなきゃなんない。新しい客もぼちぼち入ってくる。温度調整器ではとても間に合わない。アタシャ、フロントを家人に任せて急ピッチで湯づくりだ。開店前の仕事を商売中にやるなんて思ってもみなかったわい。

一件落着してフロントへ戻り、アタシャ考えちゃったよ。30過ぎのニイちゃんたちがこんな途方もない入り方をしたのも、猛烈な暑さのうえに風呂が空いていたからだろう。しかしねえ、空いてりゃ自分勝手に何してもいいなんていうんじゃ小学生以下だぜ。

そこで言いてえんだ。ニイちゃんねえ、浴槽の水のことを「うめ水」って言うんだけど、湯が熱かったら遠慮なく水を出せばいい、うめ水なんだからな。けどね、出しっぱなしはいけないよ。出したら「ほどよく止める」ってことが次に入る人へのバトンタッチになるんだ。銭湯での快適入浴の基本はこのバトンタッチにあるんだ。つまりお客さんは次々と入るんだから、み~んなつながってんだよな。言ってることが分かるかい?

さてニイちゃんたちが帰る。フロント前で何やらつぶやいてペコッと頭を下げた。オンヤ? スミマセンと言ったようだな――


【著者プロフィール】 
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。

【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2004年10月発行/70号に掲載


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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛

 

「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)

 

「東京銭湯 三國志」笠原五夫

 

 

「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫


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