平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月×日
子供の泣き声がするなと思ったら、小窓がノックされた。
「子供が……あの~……タイルの上で……痛がって……転んで……氷……」
30代の奥さんがオロオロと言う。モシモシ、落ち着いて――。
さっそく実地検分だ。5歳の男の子が頭にコブをつくって泣いている。大したコブじゃないが、一応カミさんが即席氷のうで処置をした。子供は、じきに泣きやんだ。
フロントへ戻ったアタシに、ご年配のおばちゃんが、ちょいと口をとんがらしておっしゃったよ。
「さっきからタイルの上で走ったり、はしゃいでいたのよ。危ないからやめるようにと何回も言ったんだけど、親が知ら~ん顔してんだから、転ぶのも当たり前よ」
ウーン、そうかあ。おばちゃんの言う通りなんだよなあ。
タイルの上を走ったら大人でも転びかねない。だから大人は走らない。子供はわからないから走る。ましてや銭湯の広い空間では、子供がはしゃぎたくなるのも無理はないんだ。そこで親の出番となるんだが、若いお母さんはほとんどしかんないんだよな。そして結果にアタフタしてしまう。
子供に世間のルールを教え込むのは親の責務だと思うがねえ。
小さなコブにオンオン泣いていた子供が元気回復して、今度は脱衣場ではしゃぎだした。頭の氷のうも外し、一緒に来た3歳の妹とドタバタ鬼ごっこだ。おっかさん、ここでも一言もない。しょうがねえ、アタシがやさしく教えたよ。
「こらッ、坊主! ガタガタ走るんじゃねえ。また転んで泣くぞッ」
子供、ビックリして急ブレーキだ。そ~っと歩き出したよ。そらみろッ、雷を落としゃあ、ちゃんと言うことを聞くじゃねえか。
お母さんねえ、「かわいい、かわいい」のアクセルだけじゃなく、時にはブレーキも踏みなさいな。コブ、つくんないためにもネ。
〇月×日
「いい歌がかかってるわねえ」とフロントへ話しかけてきたのは70半ばの小柄なおばちゃん。敬老入浴日にお見えになるんだが、演歌大好き人間のご様子である。
「これ有線放送でしょ。あたし、このゴダイナツコが大好きなの。サカモトフユミもいいけど、あたしはやっぱりゴダイナツコね」
「ホウ、おばちゃんは演歌に詳しいんですねえ」
アタシがちょいとほめたら、おばちゃん、入れ歯の口をすぼめ、流れている有線に合わせてゴダイナツコをハミングなさった。これがまたサマになってんだな。音痴のアタシャ感心しちゃったよ。
「ホウ、おばちゃん、ウマイんですねえ。大したもんだ」
アタシャ、もひとつほめたよ。そしたらおばちゃん、細い目をさらに細めて「この歌もいいの」と気持ちよさそうにまたハミングだ。この分じゃゴダイナツコの持ち歌がぜ~んぶ出てくんな。
「今日、お風呂の森林浴に入ったらほかにだれも入って来なかったので、大きな声でゴダイナツコを1曲歌ったの。手すりにつかまって腰を伸ばしてさあ。とっても気分よかったわあ」
ウーム、喜寿になろうというおばちゃんが、カプセルの風呂ん中でただ一人、もうツヤも脂っけも抜けちまったであろう体をシャキッと伸ばして(ゴメンネ)、
♪連れてぇ~逃げてよぉ~とやってたんだ(これ、ゴダイナツコの歌だったっけ?)
「そりゃよかったですねえ。そんなにお風呂で楽しめたんなら、銭湯って安いもんですよねえ」
「そう。だから今度は普段の日も来なくっちゃね」
敬老人浴日はもちろん無料である。お風呂で演歌を歌ったから今度は有料でも来てくれるという。
おばちゃん、演歌はやっぱり義理と人情ですよねえ。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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2000年6月発行/44号に掲載
銭湯経営者の著作はこちら
「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫