平成5(1993)年に創刊した銭湯PR誌『1010』のバックナンバーから当時の人気記事を紹介します。
〇月×日
今日、単行本『風呂屋のオヤジの番台日記』が届いた。そして夕方お見えになった中年の常連男性さんが第1冊目を購入してくださったのである。
「ダンナ、本が出たの? 1冊ちょうだい!」
「エッ、アタシの本を買ってくれんの?」
アタシャちょいとびっくりよ。何せ単行本になったといったところで、当今、本は読む人より書き手のほうが多く、本職の物書きでも苦戦しているっていうじゃない。そんなご時世にシロウトの風呂屋のオヤジの綴(つづ)り方が売れるわけがねえやなと思っていたんだ。せいぜい、業界の仲間が渡世の仁義?で買ってくれるのと、なじみの飲み屋へ無理に押し付ける程度だろう、ぐらいに勘定していたんだ。それが発売初日にして正真正銘売れたんである。たった1冊だけど、アタシにしてみりゃ、真夏にサンタクロースがやって来たようなもんさ。だからびっくりよ。この気持ちわかる?
で、アタシャ記念すべき第1号を袋に入れてうやうやしく?差し上げたんだよな。ところがお客さん本を受け取るや無造作におっしゃったんだ。
「ダンナ、本にサインしてよ」
「エッ? サ、サイン?」
アタシャまたびっくりよ。一介の風呂屋のオヤジが人様にサインだなんて・・・・・・。ウーン、恥ずかしいよ、おこがましいよ、ねえ・・・・・・。この気持ちもわかる?
ところがお客さん、アタシがぎこちなくサインをしたらまたまたおっしゃったんだ。
「ダンナ、本のサインなんだからさあ、名前だけじゃなくて何か文句も書いてよ。日付も入れてさあ」
ウッホッ、名前だけでもやっとなのに、文句も書くの? ウーン、本を売るって厳しいんだねえ。
それにしてもなんだな。フロントで、本を売って、生まれて初めてのサインもさせられて・・・・・・。今日は風呂屋のオヤジじゃねえような気分だったよ。
〇月×日
フロント前のテレビが相撲をやっている。湯上がりの80おじちゃんが一服しながら見ている。そこへ入って来たのが60ほどのおばちゃん。土俵は琴錦-貴闘力の一番が時間一杯になっていた。立ち合い、貴闘が突っ掛けるや琴が右へ大ジャンプ。言うところの八艘(はっそう)飛びってやつだ。貴闘にすれば相手が空中に消えたようなもんだから、そのままタタラを踏み土俵際で横転しちゃった。決まり手は琴錦のはたき込みだが、貴闘力が落ちるやおばちゃん大声を出した。活発な人である。
「汚いわぁ。汚いッ! あのやり方はキタナイッ」
おばちゃん、正義の味方なのかフンマンやる方ない語調で言い放ったよ。ところがこれを聞いた80おじちゃんが反論したんだな。よせばいいのに、である。
「勝負にキレイもキタナイもないよ。勝負は勝たなくっちゃ」
とおっとり言ったもんだ。こちらは琴錦のファンなのか、はたまたクールな勝負師なのか。
さあ大変、おっとりじいちゃんが活発おばちゃんに一戦を挑んだ構図になっちゃった。当然おばちゃんの反撃が始まった。じいちゃん、アタシャ知らないよ。
「何よッ、勝てばいいってもんじゃないでしょッ。あんなやり方はどう見たって汚いわよ。堂々と勝負してないじゃない。汚いッ! ほんとにキタナイッ!」
猛烈なおばちゃんの舌ぽうに哀れじいちゃん、口をパクパク、目をシバシバするだけで声が出なくなっちゃった。この勝負、初手から迫力が違い過ぎたよな。
おばちゃん、一言ですくんじゃったじいちゃんなんか相手にできんとばかりアタシに行司を求めてきた。
「ネッ、ダンナもそう思うでしょっ」
で、アタシャ言ったよ。
「立ち合いは相撲のだいご味である。琴錦の立ち合いは相撲をつまんなくするだけだ」
つまり、おばちゃんに軍配を上げたんである。
おじちゃんゴメンね。アタシだっておばちゃんがコワイもん。
【著者プロフィール】
星野 剛(ほしの つよし) 昭和9(1934)年渋谷区氷川町の「鯉の湯」に生まれる。昭和18(1943)年戦火を逃れ新潟へ疎開。昭和25(1950)年に上京し台東区竹町の「松の湯」で修業。昭和27(1952)年、父親と現在の墨田区業平で「さくら湯」を開業。平成24(2012)年逝去。著書に『風呂屋のオヤジの番台日記』『湯屋番五十年 銭湯その世界』『風呂屋のオヤジの日々往来』がある。
【DATA】さくら湯(墨田区|押上駅)
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1999年10月発行/40号に掲載
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「風呂屋のオヤジの番台日記」星野 剛
「湯屋番五十年 銭湯その世界」星野 剛(絶版)
「東京銭湯 三國志」笠原五夫
「絵でみるニッポン銭湯文化」笠原五夫